恥ずかしながら本書は未読だったが、Colm Tóibín の最新作 "Brooklyn" が今年のブッカー賞のロングリストに選ばれたのを機に取りかかった。第2章に入り、主人公がヘンリー・ジェイムズであることが判明。そこでやっと、今まで本書を敬遠していた理由を思い出した。中学生のとき『デイジー・ミラー』や『ねじの回転』を読んだことはあるが、内容はすっかり失念。その後もヘンリー・ジェイムズの作品とは縁がなく、そんな作家を主人公にした小説なんて…と読まず嫌いだったのだ。
というわけで、ヘンリー・ジェイムズの作品や実像と、本書における大家の作品や人物像を比較することはできないが、なんの予備知識もなく…というより好き勝手に読めるメリットはある、と開き直るしかない。
まだ半分も読んでいないので断定はできないが、今のところ、本書には大いに優れた点と、少し疑問に思う点がある。まず美点から述べると、主人公はもとより、端役としか言いようのない人物までふくめて性格や心理の描写がじつにきめ細かい。非常に繊細な感覚でそれぞれの特徴をとらえ、複雑微妙な動きを表現している。風景描写も同じで、ここには鋭い観察者の目がある。それがヘンリー・ジェイムズを彷彿させるかどうかは上の事情で不明だが、いかにも作家の感覚や観察眼らしいことは確かだ。
相手のちょっとした言葉や行動をきっかけにその内面を探り、想像をふくらまし、過去の関連した出来事を思い出し、そのときどきの感情を追体験、あるいは確認する。とりわけ印象深いのは、枕元で看取った妹の死と、その昔、ひと夏を一緒に語り過ごした従妹の死。ともに主人公の心に深い悲しみを残していることが静かに伝わり、感傷的な筆致はかけらもないのに胸を打つ。
…疑問点にまでふれると長くなりそうなので、それはまた後日。