ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Colm Toibin の "The Master"(1)

 Colm Toibin の "The Master" を読みおえた。周知のとおり、04年のブッカー賞最終候補作のひとつだが、文学ミーハーのぼくでもストーリーを追うだけでなく、じっくり考えさせられることが多かった。一昨日の雑感の続きになりそうだが、さっそくレビューを書いておこう。

The Master

The Master

[☆☆☆☆★] 19世紀末、すでに巨匠としての名声を博していたヘンリー・ジェイムズ。本書におけるその人物像がどこまで実像に近いかはさておき、ここには明らかに、いかにも作家らしい観察者の目がある。相手の言動や顔の表情、声の調子などを鋭く観察し、心理や意識の流れから性格・気質にいたるまで分析ないしは想像する。この精緻をきわめた心理描写、性格描写がまず読みどころ。そんな作家が目をつけた人物を創作ノートに記録、それぞれにふさわしい舞台を考え、架空の人物として熟成させながら、やがて小説の中に登場させるという過程も創作の秘密をかいま見るようで興味深い。主人公の人間観察はもちろん自分自身にも及び、客観的な自己省察が随所に認められるが、その一方、枕元で看取った妹の死、ひと夏を一緒に語り過ごした従妹の死、お互いに謎の存在でありながら親交を深めた女流作家の自殺、何度か衝突もした兄とのふれあいなどを通じて、メランコリーや孤独感、深い悲しみ、心の痛みが静かに伝わってくる。女流作家が遺した衣服をヴェニスの潟に沈めたり、心臓を病んだ兄を見送ったりする場面など、どこまでも感情を抑制した筆致なのに深い余韻が胸を打つ。全体を通じて地味で渋い作風だが、これは(トビーンの解釈による)ヘンリー・ジェイムズの人間観を反映したものかもしれない。女流作家との交流が示すように、彼は他人とかかわりながらも「心の密室」に閉じこもり、密室という「安全地帯」から人間を眺めていた。また、その観察は性格や心理を対象としても、ホーソーンに対する彼の評価が示すとおり、人間の根本的な価値観や存在基盤には及ばなかった。そういう作家がいくら人間を観察しても、それはしょせん傍観の域を出ない。それゆえ激しいドラマも生まれない。だが、波瀾万丈の人生こそ送らなかったにしても、静かに人を見つめつづける中に、じつは血の通う人間的な側面もあったのだ。…と、そんな作家像が本書からは浮かびあがってくる。英語は深い知性を感じさせる緊密な文体で、難易度もそれなりに高い。