ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Winnie and Wolf" 雑感(4)

 今週も風邪で絶不調。医者に処方してもらった薬を服みだしたのだが、効き目が切れたとたん頭が痛くなる。おかげで本を読むペースも相変わらずカタツムリ君だ。が、ピッチが上がらないのは体調のせいばかりではなく、正直言ってこの "Winnie and Wolf"、ぼくにはさっぱり面白くない。
 まず、タイトルとは異なり、ヴィニフレートとヒトラーの愛人関係が巻なかばを過ぎても焦点になっていない。むしろ、「さまよえるオランダ人」、「タンホイザー」、「マイスタージンガー」という章題が示すとおり、ワーグナーの伝記やワーグナー一家の歴史がかなりの部分を占めている。それに興味があるか、少しでもその知識がある読者なら面白く読めるのかもしれないが、不勉強で門外漢のぼくにはかなりシンドイ。
 ねらいは分からないでもない。ワーグナーの音楽の成立過程をたどることによって、ヒトラーワーグナー理解が牽強付会であり、ヒトラーは持論に都合のいいようにワーグナーを利用したに過ぎない、という事実を次第に明らかにしている。その意図はけっこうなのだが、しかしそれ、何となく常識なんじゃないかって気がする。もちろん、前にも書いたように、「それ(ヒトラーの理解)が真の理解だったのか誤解だったのか、ぼくには判断する力がない」。が、それでも言われてみれば、とうの昔に誰かが言っていそうな話じゃありませんか。
 ヒトラーの人物像やナチズム、第一大戦後のドイツの状況についてもかなり常識的な解釈だ。ヒトラーが大衆を魅了する魔力の持ち主で、ナチズムにオカルトの傾向が見られ、反ユダヤ主義にはなんら合理的な根拠がなく、当時のドイツは大混乱、救世主の出現を待ち望んでいた。いくら不勉強のぼくでも、それくらいなら知ってます! つまり本書からは、たとえばハンナ・アレントやジョージ・スタイナーの著作を読んでいて覚えるような知的興奮はまったく得られない。スタイナーの『青ひげの城にて』によれば、強制収容所の将校たちは、バッハの音楽を楽しんだ直後にユダヤ人をガス室に送りこんでいたという。偉大な文化が何ゆえに蛮行の歯止めとならなかったのか。そういう根本的な問題を追求した作品であってこそ、初めて知的興奮を味わうことができるのだ。
 してみると、ワーグナーの伝記や一家の歴史に関するくだりでさえ、通り一遍の記述なのではないかと勘ぐりたくなってしまう。「それに興味があるか、少しでもその知識がある読者なら面白く読めるのかもしれない」と上に書いたが、どうも怪しい。
 「後半(マイスタージンガーの章)の出だしを読むと、何やらフィクションくさい匂いが強烈に漂っている」と前回は書いたが、その「フィクションくさい匂い」の正体は分かったものの、残念ながら、これも今のところさっぱり面白くない。ナチス物の小説といえば、その昔、『オデッサ・ファイル』や『針の眼』のようなスパイ小説、冒険小説を読みすぎたせいもあるが、最近の純文学にかぎっても、ご存じ『朗読者』や Jenna Blum の "Those Who Save Us"、Tatiana de Rosnay の "Sarah's Key" のほうがずっといい。理由は簡単で、本書のフィクション(とおぼしき)部分はあまりにもドラマ性が乏しいからだ。おいおい、ほんとはもっと何か仕掛けがあるんでしょ、と言いたくなる。ネタはあまり明かしたくなが、ともかく次の章「パルジファル」に期待しよう。