相変わらず風邪で絶不調。大連休で困ったのは医者の休診で、売薬は眠くなるだけであまり効果がなく、もう一週間もボーっとしている。おかげで本書はまだ半分しか読んでいない。まるでカタツムリ君だ。
ここに来てやっと気がついたのだが、前半はどうやら歴史的事実をかなり忠実に再現し、その中にフィクションを織りまぜているようだ。一例がバイロイトをめぐるフルトヴェングラーとトスカニーニの確執で、二人の巨匠がライバル関係にあったことはぼくも仄聞している。それゆえ、二人の「ニアミス」にはニヤッとさせられたが、困るのは、そういう背景を知らなければさほど面白くもないエピソードだということだ。しかも、これを読んだからといって、二人のCDを聴く態度が変わるわけでもない。
一事が万事で、もっと大きな時代背景にしても、読者の一般常識を当てにしているのではと思えるフシがある。第一次大戦後、国土を奪われ、巨額の賠償金を課せられ、インフレにあえぐドイツ国民にとって、ヒトラーは次第に救世主のような存在になりつつあった。が一方、そのカリスマ性の裏には人間的なもろさもあり、それに救いの手を差しのべたのが…何だか当たり前すぎる物語だが、ヴィニフレート・ワーグナーとヒトラーの関係をある程度知っている読者なら、なるほど、さもありなん、と興味津々で読み進むのかもしれない。
が、ぼくはワーグナー一家にヴィニフレートなる女性がいたことさえ知らなかった。そういう門外漢の文字どおり雑感ゆえ説得力のない感想だが、これ、ぼくと同じように何も知らない人が読んでも思わず引きこまれるほど面白い小説なのかなあ。ワーグナーとコジマ、ハンス・フォン・ビューローの三角関係にしても、へえ、なるほどね、としか思えない。
ただ、後半の出だしを読むと、何やらフィクションくさい匂いが強烈に漂っている。ここからいよいよ本番なのかもしれない。明日は医者に診てもらう予定だから、早く体調を整えて本書に取り組みたい。