ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“A Gate at the Stairs” 雑感(3)

 おとといは職場のわりと内輪の飲み会に参加。なごやかな雰囲気でとても楽しかったが、ふと気がつくと、以前よく一緒に飲んだメンバーは誰もいなくて、内輪の集まりとしては初顔の人ばかり。昔の仲間はみんな去ってしまった。しょせん職場なんてそんなものか、と思うと少し寂しい気もするが、ぼくはもともと人づきあいが悪いし、おつきあいのマナーも心得ていないので自業自得、まあ仕方ないかとも思う。それより、新しい変化のほうに目を向けるほうがプラス思考でいいかもしれない。
 …などと、あだしごとを考えたのは、昨日は飲み疲れでダラダラ過ごしてしまい、今日になってやっと取りかかった本書の影響も多少ある。主人公の大学生 Tassie は今、冬休みで田舎の小さな町に帰省中。エレキギターも弾くが文学好きで、孤独、疎外感、周囲との違和感などを心に秘めている。'We are not alone. But, hell, we sure wish we were. (p.69) という言葉に出くわしたときは、ううん、たしかにそうだなあ、と思わずうなってしまった。
 そんなネクラな娘がベビーシッターの仕事を引き受けることになるが、肝心の赤ん坊がまだ決まらない。依頼主の女性 Sarah には子供がなく、養子をもらおうとしているのだが、前回出てきたワケあり娘の話は頓挫。今度はまたべつの母親とその子供に会うことになる。
 今回は Sarah の夫 Edward も登場。二人の間に亀裂が走っているのかと思いきや、じつは仲むつまじい夫婦らしい。ともあれ、養子をもらうことで Sarah が人生における 'the right change' (p.78)を求めていることは確かなようだ。それが Tassie の人生にどうかかわってくるのかが今後の読みどころだろう。
 それにしても、ぼくはこのところ、自分の今の心境に近い小説に出くわしてばかりなのがフシギ。感情移入しやすい部分だけ目にとまるのかもしれないし、小説を読むことの意味も学者評論家でないかぎり、フィクションを自分の人生と重ね合わせる点にあるのかもしれない。…まだまだお疲れモードですなあ。