先週末、帰省したドラ娘の企画で、劇団四季のミュージカル『アラジン』を観劇。もう何年も前、やはり新橋シアターで観た『キャッツ』よりストーリー性があり、ずっとおもしろかった。
"The Portrait of a Lady" は九合目付近で大休止。おもしろければ急坂でも一気に登れるのだけど、話がなかなか進まず、飽きてしまった。終盤のグダグダはきつい。
表題作も中盤すぎまで相当にきつかった。中学生のとき、『七破風の屋敷』という邦題に惹かれて読みはじめたけど数十ページで挫折。このほど英語で読んでみて、その理由を思い出した。待てど暮らせど、期待した怪奇小説らしくならない。これはアカン。
今回はただし、昔の挫折の記憶だけはあったのでそんな期待はしなかった。事実、「17世紀末、ニューイングランドの港町に建てられた七破風の屋敷にまつわる因縁話は、ときに怪奇小説的な様相を帯びるものの、築百年以上もたった19世紀中葉になると、ほぼすべて合理的に説明される」。
前半はとにかく「緻密な人物造型」が中心で、その緻密さたるや、そこまでやるか。Henry James は Hawthorne の評伝を著しているが(『ホーソーン研究』)、"The Portrait of a Lady" の精密な心理・性格描写は Hawthorn 直伝かもしれない。
話が本格的に動きはじめるのは、なんと第13章 'Alice Pynchon' から。ここまで中学生にガマンしろというのはさすがにムリだろう。
Alice を誘惑する男は a strange power of getting into people's dreams, and regulating matters there according to his own fancy, pretty much like the stage-manager of a theatre の持ち主というふれこみで(p.189)、ここがいくつか「怪奇小説的な様相を帯びる」箇所のひとつ。しかしまあ mind control みたいなもので、べつにたいしたエピソードではない。
ストーリー性という点では終盤がいい。「現実と仮想現実を交差させながら俗物の偽善ぶり」をあばき出す展開で、因縁の裏話には推理小説の謎解きを聞かされるような興味がある。
と本書を駆け足でふりかえってみたが、Hawthorne はむずかしい、というのが偽らざる感想だ。ここでは彼は実力の片鱗しか示していないような気がする。D・H・ロレンスは『アメリカ古典文学研究』のなかで、「『緋文字』に比べると、ホーソーンの他の著作は全然比較にならない」とクサしているけれど(大西直樹訳)、ほんとうにそうなのか。
ロレンス自身、つづけてこう述べている。「しかし、『トワイス・トールド・テールズ』の中には、すぐれた寓話があり、ピューリタニズムの初期アメリカの暗い姿が描かれたすばらしい作品もある」。
"The Scarlet Letter" はもちろん、"The Gentle Boy" や "The Birthmark" などの短編もじっくり読んでみないと、Hawthorne の全貌はつかめないのではないか。今回は、そんなありふれた感想と、たくさんの宿題がのこってしまった古典巡礼でした。(了)