ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Open City” 雑感 (3)

 今日は出勤日で先ほど帰宅したばかり。まだいくらも進んでいない。ところが、眠い目をこすりつつ読んでいたら、なんと、ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』に話が及んだのにはビックリした。ミツバチを飼っている父親と幼い娘アナが登場する場面を指して、ある女が主人公の青年医師にこう述べる。'Those scenes are very moving, they are without dialogue or plot, but they are effective.' (p.200)。
 本書を読んでいて「へえ、と思った」典型的な例だが、この少し前では、環境問題について登場人物たちが意見をかわしている。そう言えば、今まで読んだ箇所もそうだった。本書では、青年医師がふと目にした情景や人々に触発されて、「自分の人生をはじめ、いろいろなことに思いをはせる」わけだが、その思索は相手との対話からはじまったり、アメリカにおける黒人の立場を論じる場面など、時には会話そのものが思索的であったりするのだ。
 それは同時に、青年の目が自分の内面だけでなく外にもむけられている、ということかもしれない。爆破された世界貿易センタービルの跡地をながめながら、あの事件はもちろん、捕鯨の盛んだったメルヴィルの時代にまでさかのぼってニューヨークの歴史を回顧する。当然、それは本書に時間的な広がりをもたらしている。クリスマス休暇を過ごしたブリュッセルではモロッコ人の青年と出会い、パレスチナ問題について彼の意見を拝聴。'Open City' ならぬ 'open mind' というわけだ。昨日、本書を「内省的、思索的な小説」と評したついでに、「ネクラ小説とも言えますがね」とおどけて書いてしまったが、主人公 Julius の心は決して閉鎖的ではありません。
 そのモロッコ人青年と接するうちに、Julius はこんなことも述懐する。'A cancerous violence had eaten into every political idea, taken over the ideas themselves, and for so many, all that mattered was the willingness to do something. Action led to action, free of any moorings, and the way to be someone, the way to catch the attention of the young and recruit them to one's cause, was to be enraged. It seemed as if the only way this lure of violence could be avoided was by having no causes, by being magnificently isolated from all loyalties. But was that not an ethical lapse graver than rage itself?' (p.107)
 イスラム系過激派のこと、テロのことが念頭にあると思われるが、最後の But 以下がみごと。小説を読んでいて、これほど端的に道徳的難問を提出した一文に出くわすのはほんとうに久しぶりで、恐れ入りました。どうです、「こんなタイプの小説を速読するのはもったいない」でしょう。