ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Philippe Claudel の “Brodeck” (3)

 うっかり書き洩らしていたが、本書には邦訳がある。

ブロデックの報告書

ブロデックの報告書

 フィリップ・クローデルはフランスではかなり有名な作家らしいが、僕は不勉強で、本書を読んだあとネットで検索するまで知らなかった。
 さて本書には、昨日書いた「ガラスのような目」の場面以外にも、読んでいて思わずうなってしまったくだりがある。謎の男が自分の描いた人物画や風景画の展覧会を宿屋でひらくところだ。ぼくは一瞬、スティーヴン・ミルハウザーの "Dangerous Laughter" を思い出し、次の瞬間、これはミルハウザーよりすぐれているぞ、と思った。
Dangerous Laughter: Thirteen Stories (Vintage Contemporaries)

Dangerous Laughter: Thirteen Stories (Vintage Contemporaries)

[☆☆☆★★] ひさしぶりにミルハウザーの短編集を読んだが、かなり楽しめる反面、期待したほどではなかった。例によって細部の描写は精緻を極め、しかもリアルな描写から異形の世界が見えてくる。巻頭のシュールな「トムとジェリー」風の物語と第1部は、大げさに言えば人間存在の意味をフィクション化したもの。白眉は「闇の中の少女」とでも題すべき第3話で、細部の描写を通じて異次元への扉をひらき、彼方の存在を認識しようとする試みの中に青春小説の味わいもある。表題作は、笑いという日常的な行動が極端に走って非日常化する物語で、このプロセスは第2部全体にも当てはまる。バベルの塔を思わせる第9話に代表されるように、モノマニアックな衝動によって現実が非現実化し、論理が非論理化しているのだ。第3部も同じ文脈で、絵に描いたハエが飛びたち、絵中の人物がダンスをはじめ、やがて現実と絵画の世界が溶解…という第12話が物語るように、やはり非現実化、非日常化、非論理化がテーマ。これを支えるのがテーマにふさわしいモノマニアックな描写で、まさにミルハウザーの真骨頂。が、通読してみるとワン・パターンが目立ち、しかも意外に内容は深くない。早い話がこれを読んでも、目から鱗が落ちるような人間に関する発見は得られない。とすれば、こんな異形の世界を創出する意味はどこにあるのだろうか。会話がほとんどなく地の文の連続だが、語彙レヴェルとしては標準的で読みやすい。
 …昔のレビューの再録だが(点数は今日つけました)、これに対して "Brodeck" における幻想的な「個展」シーンの場合、「こんな異形の世界を創出する意味はどこにあるのだろうか」という疑問を覚えることはまったくない。「目から鱗が落ちるような人間に関する発見」ではないにしても、ここには「非現実的な空想を通じて恐怖の現実を生みだす」という歴とした必然性があるからだ。
 ぼくは去年の暮れ、Erin Morgenstern の "The Night Circus" を読んだあと、こんなことを書いた。「ぼくにとってファンタジーのたぐいは、ただの絵空事、摩訶不思議な空想の産物だけでなく、それを読むことによって現実に立ち返る作品であるほうが望ましい。さらに言えば、非現実を描くからにはそれなりの必然性がなければならぬ、ともぼくは考えている。現実を現実のままに描くだけでは描ききれない現実、非現実的な設定によってありありと浮かびあがる現実――もしそういう『非現実の現実』があるとしたら、それを描くところにSFやファンタジーの存在価値があるのではないだろうか」。
 "Brodeck" の「個展」シーンには、まさしく「非現実の現実」が認められる。この場面ひとつ取っても、"Brodeck" は「人間の内面にひそむ悪、狂気をアレゴリカルに描いた秀作」なのである。