ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Almost Heaven” 雑感 (2)

 世間は連休のはずで、うちのドラ娘も久しぶりにわが家に帰ってきたが、ぼくの職場は明日まで仕事。昨日もけっこう忙しかった。今日も出勤だが、こっそりこれを書いている。
 仕事の合間にボチボチ本書を読んでいるうちに、だいぶ目鼻がついてきた。これはキリスト教図書賞を取っただけあって、やっぱり信者むけの作品のような気がする。ぼくは信者ではないので、ちょっと違和感を覚える。
 本書を手に取ったきっかけは、ほんの偶然だ。ふと上の賞のことを思い出し、最近の受賞作を検索したところ、この本の表紙が目についた。何のことはない、「見てくれ買い」である。おとといレビューを再録した Charles Martin の "When Crickets Cry" は大好きな作品なので、今度もキリスト教うんぬんとは関係なく、まず小説としてウェルメイドだったらいいなと期待した。
 それが今のところ、いささか期待はずれ。ミもフタもないことを言うようだが、「信者むけの作品」である点に「違和感を覚える」。信者でなくても、知人の冠婚葬祭などで神父や牧師の説教を聞く機会がたまにあるが、そんなとき、話者と聴衆のあいだに一定の了解事項があり、要するにそれが信仰を大前提とした説教であることに気がつく。本書に覚える「違和感」とは、そういうたぐいのものである。
 たとえば、ここには天使が登場し、悪魔と戦ったり言葉をかわしたりするのだが、その会話に出てくる善悪論がいかにも紋切り型で、まあ天使と悪魔の会話だから仕方ないのかもしれないけれど、こんな紋切り型でほんとに満足できるのかな。満足できるとしたら、それは作者と読者のあいだに「一定の了解事項」があるからとしか思えない。先月読んだトルストイの英訳短編集、"The Death of Ivan Ilyich & Other Stories" とは大違いだ。あちらにはキリスト教の信者ならずとも、思わず引きこまれる本質的な善悪の問題が展開されていた。ともあれこの "Almost Heaven"、後半に期待することにしましょう。