ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Laurent Binet の “HHhH” (2)

 あちらの新刊小説を追いかけていると、年に一冊は必ずナチス物、ホロコースト物に出くわすものだ。あの悲劇が人類史上の大事件であったことを物語る証拠のひとつだが、史実というよりフィクションの題材として、大なり小なり似たような話に定期的に接していると、不謹慎な言い方ながら、「ああまたか」と思ってしまう。
 もちろん、「大なり小なり似たような」といっても、扱われている個々の事件やそれが起きた場所は異なるし、小説的なアプローチとしてもいろいろな趣向が凝らされている。それゆえ、「ああまたか」と思う反面、その都度ぐんぐん引きこまれたり、あれこれ考えこんでしまったり、やっぱりプロ作家の仕事はすごいものである。
 今までこのブログで扱ったナチス物を数えてみると、"HHhH" もふくめ、ぜんぶで15冊あった。その中で、人間の悲劇性や善悪の問題について深い洞察を示した作品として、Irene Nemirovsky の "Suite Francaise" (☆☆☆☆★★)がもっとも記憶にのこっている。また、波瀾万丈のドラマとしては、Julie Orringer の "The Invisible Bridge" (☆☆☆☆)が抜群におもしろかった。
 ほかにも☆4つの作品はいくつかあるが、この "HHhH" は☆☆☆☆★。ぼくとしては最高に近い評価を与えたことになる。これが「従来のナチス物、ホロコースト物の定型を打ち破った画期的な作品」だからである。
 その「定型」とは歴史小説の定型でもあり、どんな歴史小説でも、当たり前の話だが、過去にあった事件を再現、再構成していく。それが回想形式をとったり、実況中継風になったり、表現方法にいろいろな差はあっても、事件の再現という点では変わらない。
 本書の場合も、「実況中継風」の箇所は多々あり、形式的には一見、定石どおりと思えるかもしれない。が、よく見ると、従来のナチス物とは決定的に異なる点がある。それは、本書における「実況中継」が、たんなる「事件の再現」のための手段にとどまっていない、という点である。
 ……長くなりました。きょうはおしまい。