雑感でもふれたように、恥ずかしながら未読の "Cloud Atlas" の前に Calvino の本書を、と思って取りかかったのだが、正直言って、かなりヘコタレましたね。こういうメタフィクションを読むのもたまにはいいけれど、しょっちゅう読んでいると胃にもたれる、というか頭が破裂しそうだ。
そんな本書に David Mitchell は夢中になったのだそうだが、作家の立場としては、大いに興味をそそられる作品であることは、なんとなくわかる。ガーディアン紙に載った Mitchell のエッセイは結局読まなかったけれど(読むと、どうしても彼の目を意識せざるをえなくなるだろう)、それはおそらく作家的関心から本書を分析したものではないかと推察する。
が、当たり前の話だが、ぼくは終始一貫、「いったい作者の意図は何なのか」という、あくまでも読者としての関心しか持たなかった。さらに言えば、「小説を書くとはどういうことか」ではなく、「小説を読むとはどういうことか」。もっとありていに言えば、この本を読むことにどんな意味があるのか。
そんな問いを自分に投げかけながら本書を読んだのは、もちろんこれが、小説の創作をめぐる「瞑想ないし熟考をフィクション化したメタフィクション」だからである。ふつうだったら、せいぜい作者の意図を推し量るだけでおしまいでしょう。「この本を読むことにどんな意味があるのか」と考えることは時たまあるけれど、それはおおむね駄作の場合ですな。
とまあ、ぼくなりの「瞑想ないし熟考」の結果をまとめたのがきのうのレビューである。いま読み返してみると、いかにもぼくらしいガンコな固定観念がはっきり示された「レビュー」で、われながら苦笑してしまう。……長くなりそうだ。中途半端ですが、きょうはこのへんで。