ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Italo Calvino の “If on a Winter's Night a Traveler” (1)

 Italo Calvino の "If on a Winter's Night a Traveler" (1979) をやっと読みおえた。さっそくレビューを書いておこう。

[☆☆☆★★★] 小説とはなにか。小説を書くとはどういうことか。そして小説を読むとは? 本書はこの三つの問いをめぐる瞑想ないし熟考をフィクション化したメタフィクションである。これらの問いは当然、人生とはなにか、人生を生きるとはどういうことか、という究極の問題につながるはずだが、作者がそこまで意識して本書を仕上げたかどうかは、いまひとつ定かではない。それをどう読むかも読者しだいということなのかもしれぬ。がしかし、作者の意図はさておき、このメタフィクションを人生のメタファーとして解釈することはいちおう可能だろう。まず、本書にちりばめられた十の物語は、いずれも佳境に入りかけたところで中断。しかもそれぞれ、なんの脈絡もない。が、そこにじつは一種のトリックが仕掛けられていて、そのトリックに気づいたとたん、各断片がひとつの全体を形成していることが判明。人生もそのようなものだ。なにもかも中途半端でまとまりに欠けるが、それでも同じひとりの人生であることには変わりない。一方、その十話と平行して、12の「瞑想ないし熟考」もつづく。小説の読者が登場し、物語篇の進行や中断に応じてコメントを添え、さながら自作批評の感もある。と、そこへべつの読者が、はたまた「本篇」の作者や翻訳者なども顔を出し、こちらのほうがむしろ脈絡のあるフィクションとなっている。彼らは万華鏡のように変化するテキストに接し、その真偽の判別に四苦八苦。すべてニセものかも、と疑いつつ真実を探ろうとする。これまた、まさに人生そのものである。ともあれ、本篇でも読者篇でも複雑な叙述トリックが駆使され、本来それぞれ独立した存在である読者と作者と作中人物が同じ世界の住人となり、三者共同でフィクションを創作しようとしているかのような錯覚さえおぼえる。しかし考えてみれば、読者と作者と作中人物は、小説を通じて精神的にどこかでつながりをもつ存在である。この点をフィクション化したメタフィクションが本書なのだ。イタリア語からの英訳だが、こうした「瞑想ないし熟考」を表現する英語が、翻訳にしては難解となるのは当然の結果であり、原文の特徴をよく反映したものではないかと思われる。