ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Possession" 雑感(1)

 40年前の夏休み、田舎で Iris Murdoch の "The Bell" を読み終えたあと、ぼくはイギリス文学から長いこと遠ざかってしまった。いま読書記録を調べると、ほぼ四半世紀たった同じく夏休み、"Lord of the Flies" を読むまで娯楽小説を除くと一冊も読んでいない。
 あれほど夢中になって読んだ Murdoch をどうしてフォローしなかったのか。せめて "The Bell" だけでも今回のように詳しく分析しておけば、その後の読書傾向は少し違ったものになっていたかもしれない。
 だが、当時はおそらく分析の仕方もわからなかったのではないか。もちろん今もよくわかっているわけではない。が、少なくともメモをまめに取ることで、いろいろな発見があった。その結果、例によって勘違いの恐れはあるものの、ぼくなりに作品の本質に迫ることができたように思う。
 決していいことではない。読んでいる最中から、「なんだか昔の恋人と再会したような気分」であり、読み終わったあと、「思い出はやはり、思い出のまま取っておくほうが」よかった、という気もした。文学史上における Murdoch の位置がちょっぴり見えてきたからだ。
 昨秋ブログを再開して以来、"The Red and the Black" や "Death in Venice" など、"The Bell" と同じく長年の宿題だった本を何冊か読んだあとに接すると、彼女は残念ながら「文学の巨人」というほどではない。読んだ作品数だけで言うなら断然ゴヒイキ作家なのだが、ひいきの引き倒しというわけにも行かない。
 ただ、それは必ずしも作家としての力量や資質という問題だけではなく、19世紀から20世紀前半までと、20世紀後半以後という時代の差の問題もあるような気がする。"The Bell" における鐘の意味を考え、神の存在と現代の精神状況について思いをめぐらすうちに、これは「時代の差」もからんでいるな、と想像をふくらませてしまったのだ。が、これについて論じると、いくら時間があっても足りないので今日はこれくらいにしておこう。
 ともあれ、死ぬまでにぜひ再読しなければ、と思って取り組んだ〈原点回帰〉は、"The Bell" でいったんおしまい。ほかにも気になる本はあるが、この路線で行くと、いつまでたっても未読積ん読の山を切り崩すことができない。
 そちらの宿題も片づけなければ、と思って取りかかったのが A.S.Byatt の "Possesion"。ご存じ1990年のブッカー賞受賞作である。なんだ、えらく遅れてるなあ、という声が聞こえてくる。勉強不足でお恥ずかしいかぎりだ。
(写真は宇和島市須賀川。見返り橋から川上へ歩いて行くと、やがて左手に和霊神社が見えてくる。このあたりの風景もほぼ昔のままだ)。