なぜこれほど鐘の意味にこだわるのか。タイトルだからということもあるが、この「予兆、暗示に充ち満ち」た作品のなかにあって、ほとんど唯一、鐘だけが予兆や暗示のままに終わっているからだ。
雑感にも書いたように、「どの描写、どのエピソードをとっても本書には無駄がない。必然的に次の描写、次のエピソードへとつながる意味を持っている」。試みにひとつのシーンに着目し、なぜこんな場面が出てくるのかと小さな疑問を持ってみよう。「すると必ずあとで、ははあ、そういうことだったのかと腑に落ちる瞬間が訪れる」。「とにかくみごとな技巧と言うほかはない」。
ところが、鐘についてだけは、その「腑に落ちる瞬間」がついにやって来ない。むろん、いろいろな手がかりはある。そのうち主なものは、いままで紹介してきたとおりだ。ネタバレを避けすぎたのでちっとも手がかりらしくないけれど、それでも文脈を離れてさえ、Dora と Michael という中心人物が鐘をどうとらえているかは、はっきり読み取れることと思う。
ひとつ補足しておくと、鐘の音を聴いて信徒や付近の住民が集まってくるシーンがある。前回引用した、 Dora が鐘を乱打する場面だ。'Dora was so astounded, so almost annihirated at the wonder of it, and by the sheer noise, that she was oblivious of everything except her task of keeping the bell ringing. She did not hear the sound of approaching voices and stood dazed and vacant when some twenty minutes later a large number of people came running into the barn and crowded about her.' (p.268) これはハイライトの一部で、文脈がわかると大変感動的なのだが、ともあれ人びとにとって鐘が重要な存在であることだけは、うかがい知ることができる。
そしてもしこの流れで本書が終わっているなら、あるいは Michael が鐘の音から宗教的啓示を受け、Dora が鐘によって心の救いを得るところで幕が閉じていれば、鐘の持つ意味は明々白々だったはずだ。まさしく 'something perfect' や 'something good' そのもの、人間に救済をもたらす神の象徴である。
けれども実際には、Michael が啓示を受けたとき、彼はその音を鐘の音とは認識していない。また詳細は省くが、巻末にいたるも彼のかかえる問題はいっこうに解決していない。それはもちろん Dora についても当てはまる。それどころか、すでに紹介したように、ふたりの心は信仰から離れている。そして Michael が創設した宗教団体も解散してしまう。
一方、Dora も Michael も暗い絶望に沈んでいるわけではない。ふたりがかわす最後の会話はこうだ。' ".... Give my greetings to Sally [Dora's friend]!" "I will!" said Dora. "You know, I quite look forward to it. I've never been in the West Country. I wonder how I shall get on. What does one drink there?" Michael made a wry face. "West Country cider," he said. "Isn't it nice?" said Dora. "It's nice," said Michael, "but very strong. I shouldn't take too much of it, if I were you." "I shall telephone Sally to get in a large jug," said Dora, "and tonight we shall be drinking your health in West Country cider!" ' (p.315)じつに明るい会話である。
ふたたび幕切れを引用しよう。'From the tower above her the bell began for Nones. She scarcely heard it. Already for her it rang from another world. Tonight she would be telling the whole story to Sally.' けっして暗くない、それどころかむしろ、人生がこれからもつづくことを予感させる結末である。Dora も Michael も、救いは得られないが絶望もしていない。それはまさに「救いも絶望もない、ただ、いまを生きるしかない現代人のおかれた精神状況」である。
こうした状況において神は、信仰はどんな役割を果たしているのだろうか。じつはぼくも上の結末を読んだとき、耳のなかで鐘が鳴っているような気がした。そこからレビューの「鐘はなぜ鳴るのか」という書き出しを思いついた。「鐘はなぜ鳴るのか。その音色にはどんな意味があるのか」。この問いは結局、現代の精神状況において「神は、信仰はどんな役割を果たしているのか」という問いと同じであろう。
そして「この問いに答えはない」。だからこそ、「鐘だけが予兆や暗示のままに終わっている」のだ。超絶的な存在である神を信じられない多くの現代人にとって、鐘の音は、みずからの精神状況を思い知らせるものであり、また、神の存在の受けとめかたが各人各様であることを感じさせるものでもある。ひるがえって、神はそうした人間の状況のいかんにかかわらず超絶的に存在している。ちょうど鐘が 'another world' から鳴るように。以上が本書の鐘の持つ意味ではあるまいか、とぼくは推測している。
(写真は宇和島市須賀川と住吉山遠望。新しい家や橋も見えるが、このあたりの風景はほぼ昔のままである)。