ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Barbara Kingsolver の “The Poisonwood Bible” (4)

 つい昔のレビューでお茶を濁してしまった。「……落ちた日本……」などと書くよりはマシかな。さて "The Poisonwood Bible" についての各論に移ろう。
 ちょうど半分あたりに、ずばり本書の(ぼくがとらえた)テーマを象徴する場面がある。' "Tata Jesus is Bangala!" declares the Reverend every Sunday at the end of his sermon. More and more, mistrusting his interpreters, he tries to speak in Kikongo. He throws back his head and shouts these words to the sky, while his lambs sit scratching themselves in wonder. Bangala means something precious and dear. But the way he pronounces it, it means the poisonwood tree. Praise the Lord, hallelujah, my friends! for Jesus will make you itch like nobody's business.' (p.276)
 これはアメリカ人宣教師の娘の一人が描いた父の説教のようすで、見てのとおりユーモラスな筆致だ。が、内容はかなり深刻である。宣教師は大まじめにイエスの教えを説いているのに、発音の仕方によって意味が変わる現地の言葉を使っているため、その教えが現住民には危害をもたらすものとして受け取られているのだ。
 なにしろ poisonwood とは「bite する木」で、この木に触れるとこんな目にあう。'My father woke up the next morning with a horrible rash on his hands and arms, presumably wounded by the plant that bites. Even his good right eye was swollen shut, from where he'd wiped his brow. Yellow pus ran like sap from his welted flesh.' (pp.40-41)
 このくだりを踏まえて最初の引用を読み返すと、scratching, itch などの意味が腑に落ちてなおさら可笑しい。つまり「コメディー・タッチとシリアスな話題の組み合わせ」というわけである。
 「シリアスな話題」とはむろん、キリスト教が異文化、土着信仰と衝突したときに生じる〈宗教的カルチャー・ショック〉のことだ。上の場面以前にも宣教師は、早くから原住民たちに川で洗礼を受けるように訴えるのだが、原住民にとっては、川はワニのすみかにほかならない。
 というわけで、ぼくはレビューをこのように書き出した。「西洋キリスト教社会における聖書は絶対善の根源だが、異文化に導入されたとき、はたしてそのまま絶対善たりうるのか」。いやいや絶対善どころか、本書では害悪そのものである。が、この「問題はそれ自体、決して目新しいものではない」。その昔、ぼくが中途で投げ出してしまったのも、なんだかよくある話だな、と思ったせいかもしれない。
(写真は宇和島市来村(くのむら)川。きのうアップした風景からさらに川下付近)。