ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Barbara Kingsolver の “The Poisonwood Bible” (5)

 レビューは長々と書いてしまったが、要約すると次のようになる。アメリカ人宣教師はコンゴ奥地の村で布教に励むが、それは宣教師一家にとっても原住民にとっても〈宗教的カルチャー・ショック〉だった。これが本書の大きな流れで、そのショックの実態を描いた「多彩な話術」がお楽しみ。
 なぜショックが起きるかというと、自分が正しいと信じることを異なる文化の人間に強制するからだ。今や常識と思われるテーマだが、1959年から始まる物語という時代設定なら陳腐には思えないだろう、と Kingsolver は考えたのかもしれない。あるいは、おなじみの話であっても、まだまだ工夫次第でいくらでもおもしろく書ける、という自信があったのかもしれない。とすれば、その自信はみごとに正しさを立証されている。
 とはいえ、上に要約したように骨組みそのものは単純明快だ。「善の強制は悪」というメカニズムを示した箇所を引用しておこう。いずれも後年、宣教師の娘たちが述べた言葉である。'I'm sure he [my father] believed right up to the end he was doing the right thing. He never did give up the ship.' (p.488) 'You just can's assume that what's right or wrong for us is the same as what was right or wrong for them.' (p.490) 'Don't we have a cheerful, simple morality here in Western Civilization: expect perfection, and revile the missed mark!' (p.493) 'Everything you're sure is right can be wrong in another place. Especially here [in Africa].' (p.505) 'I am born of a man who believed he could tell nothing but the truth, while he set down for all time the Poisonwood Bible.' (p.533)
 タイトルにもなっている最後の 'the Poisonwood Bible' の意味は、前回引用した部分を読めば明らかだろう。宣教師は現地語で 'Tata Jesus is bangala!' と説教する。'precious and dear' のつもりで 'bangala' と言うのだが、これは発音が変わると意味も変わる単語で、原住民には 'Jesus is poisonwood!' としか聞こえない。poisonwood とは樹液が毒の木である。したがって、宣教師は 'Jesus is precious!' と言うつもりで 'Jesus is poisonous!' と叫んでいたことになる。
 じつにこっけいな話だが、これは単なる笑い話にとどまらない。ここから真の意味で「一家の苦難の物語」が始まり、「姉妹がひとり減ってからは三者三様、それぞれの悪戦苦闘」がえんえんと続くことになる。
 「善の強制は悪」というと、ふつう「被害者」側から見た悪を連想しがちだが、本書では「加害者」側の立場から悲劇が描かれている。これは特筆すべき点だと思う。レビューに補足しました。
(写真は宇和島市来村(くのむら)川。堀部公園から)。