ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Han Kang の “The Vegetarian” (4)

 これを読んでいて、ふと思い出したのがまず、『ツレがうつになりまして。』。といっても、ぼくは映画しか知らない。だから中途半端な印象論だが、本質的には同じ問題を扱っているような気がする。「異変はある日突然やって来る。日常生活が突如、暗転する。そのとき自分はどうなるのか。まわりの家族はどうしたらいいのか」。
 よくある異変としては、自分もしくは家族の病気や事故などだが、そのとき本人はもちろん、運命共同体を構成する家族全員が、運命のいたずらにすっかり翻弄されてしまう。そして問題が深刻であればあるほど、「ニッチもサッチも行かない泥沼状態」になる。あとは嵐が過ぎ去るのをひたすら待つしかない。が、嵐はそのままずっと続くかもしれない。
 こうした流れにあるのが "The Vegetarian" である。vegetarian といえば、キリギリスみたいな生活を送っている人畜無害な人、くらいの先入観しかなかったぼくは、斬新なアイデアだなと感心した。鬱病なりアルツなり世間一般によく知られた病気ではなく、さりとて「何とかかんとか病」という耳馴れぬ難病でもなく、そもそも病気とはおよそ関係なさそうな病気にかかってしまう。このアイデアがうまい。
 意外な設定である。が、「本質的には家庭の悲劇であり、また、よくある自己喪失の物語である。いわば日常の延長線上にある非日常」。このあたりが、秀作ではあるものの、名作になりそこねている点のひとつだろう。
 さらに言えば、第2部の「非日常をさらに超えた美の極致、官能と感覚の至高の世界」。ここで思い出したのが川端康成の『眠れる美女』だ。大昔読んだきりなので Wiki を調べると、若い娘の「肉体を仔細に観察しながら、過去の恋人や自分の娘、死んだ母の断想や様々な妄念、夢想を去来させるエロティシズムとデカダンスが描かれている」。
 ははあ、たしかにそうでしたね。ますます "The Vegetarian" と相通じるものがあるように思えてきた。が、本書の場合、その「妖しい美とエロスの混在する芸術的な世界」と、上のような日常の世界がいかにもアンバランスで、第2部だけ突出した印象を与える。これもマイナス点である。
 とはいうものの、美とエロスの「世界が生み出す異常性はただごとではない」。Steven Millhauserと Mandiargues をミックスしたような味わいかな。次はぜひ、この路線に絞った長編を期待したいところだ。
(写真は宇和島市勧進橋。ぼくの幼いころ、橋のたもとに駄菓子屋さんがあった。向かって右側の家だが、今は無人かもしれない)