ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Andrew Michael Hurley の “The Loney” (2)

 この週末、法事で福井に出かけた。集まった遺族を見わたしたところ、次にお呼びがかかりそうなのは、なんとこのぼく。実際そうなったとき、みんな、こんな顔をしているんだろうな、と思わず感慨にふけってしまった。
 さて、この "The Loney" だが、本ブログの休止中に出たおもな作品を catch up しようと積ん読の山をながめていたら、本書の表紙にある 'A gothic masterpiece' というガーディアン紙の評言が目についた。それに釣られて読みはじめたわけだが、これ、ゴシックというよりゴシックもどき、せいぜいゴシック風というのが正しいんじゃないでしょうか。
 ぼくくらいのオジイチャンになると、上のように時々あの世が気になるものだが、本書の作者 Andrew Michael Hurley は、これが処女長編というからには、きっと若い作家なんでしょうね。霊界の話はひとつも出てきません。
 だからおもしろくない、とは言わないが、ゴシック小説にしては、「各人物が人知を超えた幻想や超自然の世界とは無縁のまま、実証的な経験と事実の支配する日常世界にとどまっている」。そのことと本書がさっぱり盛り上がらないことは、決して無関係ではないと思う。
 そもそもゴシック・ロマンスって何? ぼくの大ざっぱな理解では、「古い館を舞台に美女の危機を描いたもの」です。代表的な作品としては、まず『オトラント城綺譚』(1764)が鼻祖らしいが未読。ぼくが知っているのは、Emily Bronte の "Wuthering Heights" (1847)、学生時代に途中で挫折した Nathaniel Hawthorne の "The House of Seven Gables" (1851)、それからヒッチコック映画『レベッカ』(1940)といったところ。デュ・モーリアの原作(1938)は恥ずかしながら未読。
 というわけで、こうしたゴシック・ロマンスを思い浮かべながら "The Loney" を読んでいるうちに、ふと気がついた。ちっともコワくないのである。
 理由は簡単。「主人公をはじめ、恐怖におののく瞬間」がほとんどないからだ。より具体的に言えば、「人知を超えた幻想や超自然の世界」をかいま見せるような瞬間がない。ウソでもいいから見せてほしかったですな。
 映画『レベッカ』の場合、あのオバハンがまずコワい。相当にコワい。それからカメラワークが非常に巧みで、壁しか写っていないような場面でも、レベッカの影が見えるような気がする。とうに死んでるはずなのに、と頭ではわかっていてもコワい。つまり、ゴーストの出ないゴースト映画。さすがヒッチ先生ですね。
 それが "Wuthering Heights" となると、そのコワさは、文字どおり「人知を超えた幻想や超自然の世界」に通じているのではないか。ぼくは中1のとき、名優ローレンス・オリヴィエ主演の映画を2回続けて見た。当時は入れ替え制じゃなかったもので。
 あの開幕シーン、ありゃコワかったですな。後年、Emily Bronte について論文を書いた友人と話し合う機会があり、「うん、あれはたしかにコワかった」と意見が一致。
 その友人から聞いた話ではないが、いま思うに、"Wuthering Heights" のコワさは、超自然の世界と同時に、人間存在そのものの恐ろしさかもしれません。あるいは、人間が人間業を超えたものに取り憑かれた怖さ。人間が神の世界に近づいたときに生まれる情念、狂信。分析的に読んだことはないので、何となくそんな気がする、というだけですが。
 Hawthorne となると、これまた上の事情で断言しかねるが、たしか宗教的な背景があったのでは。もう少し英語を勉強してから、いつか読み直そうと思っている。
 とまあ、あやふやな記憶をもとに、乏しいゴシック・ロマンス体験を駆け足でふりかえってみたが、3つの作品とも、それぞれセールス・ポイントというか魅力的な要素があったことだけは間違いない。その点、この "The Loney" はどうも物足りない。
 なぜだろうと考えているうちに、ふと思い出したのがこんな場面。He had been wrong about everything. God was missing. He had never been here. And if He had never been here, in this their special place, then He was nowhere at all. ..... It was all just machinery. Here there was only existence coming and going with an indifference that left him cold. Life here arose of its own accord and for no particular reason. It went unexamined, and died unremembered. (pp.334-335)
 最初の「彼」がどんな人物かは、あえて伏せておこう。とにかく、この無神論的な虚無の世界には、神はもちろん、ゴーストも存在していない。それは「人知を超えた幻想や超自然の世界とは無縁のまま、実証的な経験と事実の支配する日常世界」でしかない。
 このくだりから本書をふりかえると、なるほど、彼も彼女もイースターの巡礼に出かけたわりには、どうもみんな信仰心の篤い人物には思えない。「人間を超えたもの」への畏敬の念が足りない。だから本書の一見、謎めいた事件も「ちっともコワくない」。本当にコワい事件とは、人間の力ではどうしようもないものに突き動かされてこそ起きるのだ。ちょうど "Wuthering Heights" のように。
 これを要するに、「信仰を忘れた神なき現代では、もはやゴシック・ロマンスの傑作は生まれない、ということかもしれない」。ちと強引な結論でしたかな。
(写真はぼくの母校、宇和島市立明倫小学校。この木々のあたりに、かろうじて昔の面影がある)