ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Anita Brookner の“Look at Me”(3)

 世間は連休だが、ぼくは仕事の遅れを取り戻すべく、きのうは終日、きょうも昼過ぎまで〈自宅残業〉。BGMはもちろん、中島みゆきのアルバム(21st〜30th)。仕事さえなければ気分はサイコーなんですけどね。
 そういえば去年、森田童子の復刻版CDが出ていたとは知りませんでした。長らく廃盤状態で入手困難だったのに、何と一挙に9枚も再発。あんな超ネクラがはやる時代とも思えないし、なぜだろう。ひょっとしたら、ぼくのようなオジイチャン世代ならサイフのひもをゆるめるにちがいない、という計算があるのかも。
 その計算どおり、ぼくも買いたい盤が何枚かあるけれど、どれもBGMには絶対に向かない。ウツがひどいとき、思い屈した夜に聴こうと思っている。
 さて、"Look at Me" について、もう一回だけ雑談を続けよう。Look at me. とは、言うまでもなく他人に自分を recognize してほしいという意。タイトルに使われているだけあって、本文中にもたびたび出てくる。
 それに次いで繰り返されるのが冒頭の一節だ。Once a thing is known it can never be unknown. It can only be forgotten. And, in a way that bends time, so long as it is remembered, it will indicate the future. (p.5)
 これがたしか2度目では And 以下がなく、3度目では最後の文は、And in a way that bends time, once it is remembered, it indicates the future. となっている(p.191)。
 ぼくは冒頭では何気なく読み流してしまったが、2度目には思わず、ページをめくる指が止まってしまった。ううむ、これ、ほんとにホントのことですな。
 ぼくのように長いあいだムダ飯を食っていると、知りたくなかったこと、知らないほうがよかったことを不幸にも、いやおうなく知ってしまうことがある。ほんとは山ほどあるはずだが、ニュースはふだんどうでもいいものが多く、それゆえ知ったことさえ忘れてしまう。だから記憶に残るものほどショックが大きい。
 そこで「不幸にも」と言うしかないのだが、その真実から生き方を学ぶこともある。そう考えると、「幸か不幸か」と言うほうが正しいかもしれない。
 と考えるのは元気なときで、同じ中島みゆきのアルバムでも、BGM向きではない「Singles」にはこんな曲が入っている。「忘れられない歌を 突然聞く 誰も知る人のない 遠い町の角で やっと恨みも嘘も うすれた頃 忘れられない歌が もう一度はやる」
 きょうはもう仕事はおしまい。これから散歩に出かけます。
(写真は、宇和島市元結掛(もとゆいぎ)にある銭湯。いまもたしか営業しているはず)