またまた小休止。すっかりサボり癖がついてしまった。
じつは先週ずっと高熱が続いていた。しかし、あいにく職場が繁忙期。休みたくても休めず、「宮仕えの男はつらいよ」。
今週前半も、ようやく熱は下がったものの、なんだかダンプカーにでもぶつかったような感じで、日中ボーッとすることが多く、夕食をとるとすぐにバタンキュー。というわけで、このところ最悪の日々だった。
さいわい、きのう今日はやっと普通の体調に戻り、ブログを更新する元気も出てきた。そこでこの十日あまりを振り返ると、寝床の中で思ったのだけど、歳をとると子供に戻るってのは本当ですね。
少し気分のいいときは、枕元にコミックを置いて横目でながめる。吉田秋生の『吉祥天女』を読んでいるうちに、ふと気がついた。これ、小さいころとまったく同じだなあ。
ぼくは虚弱児童だったのでよく病気にかかり、見上げた天井板や、窓の外の四角い空などは毎度おなじみの光景。その単調さを破ったのが、貸本屋で借りてきてもらった漫画本だった。『赤銅鈴之助』や『ロボット三等兵』などが大好きだった。
それにしても、『吉祥天女』はすごい。ヒロイン小夜子の心の中で、「innocence と experience の対立と融合」という葛藤はない。だから、魔性の女なのである。
次に読み終えたのが、森沢明夫の『海を抱いたビー玉』。ほぼ予想どおりの結末で、「3回涙が出た」というキャッチコピーほどには感動しなかったものの、いい話であることは間違いない。巻末の写真を見てビックリ。「半分はノンフィクション」だったのですね。その写真がとてもいい。
さらに、『ゼロの焦点』も結局、最後まで読んでしまった。後年の清張ミステリとくらべ、「また例の話ですか」と鼻につくことがほとんどなかったからだ。ヒロイン禎子が冬の能登の海をながめ、「海沿いの墓のなか 海ぎわの墓のなか」というポーの詩の一節を思い出すシーン。あそこは好きだ。来年の冬にでも一人で行ってみたい。
続いて、これまた相当久しぶりに『風の視線』を読みはじめた。『ゼロの焦点』と同じく新婚夫婦のすれ違いを描いたものだが、こちらはガクンと落ちる。ただ、十三潟にある廃屋のシーンはいい。やはり行ってみたくなった。舞台を訪れたくなるのは清張ミステリを読んだときのお決まりですね。トラベル・ミステリの先駆だったのかな。
と、ここまでが寝床読書。通勤用の "The Magician's Assistant" からは、ずっと遠ざかっていた。久しぶりに英語の活字に目を落としてみると、新しい展開はあまりないようだ。衝撃の事実が明らかにされたあと、ヒロインの Sabine は、Nebraska の田舎町にある、雪に閉ざされた義理の母の家に滞在しつづけている。が、それほど特筆すべき事件は起きていない。話を引っ張ってるのかな、という気もするけれど、Ann Patchett のことだ、まさかそんなことはないでしょう。
(写真は、宇和島市神田川原(じんでんがわら)の旧称・土橋(どばし)がかかる小川。昔はこれほど整備されておらず、川床には石がゴロゴロ。ある日、ここでいつものように遊んでいたら、ふと目の前を小魚が泳いでいた。ぼくはゴクリと息をのみ、そっと手を伸ばしたが、もちろん逃げられてしまった。泳いでいる魚を見たのは、それが初めてだった)