ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Veza Canetti の “The Tortoises”(2)と、再読したいナチス関連作品一覧

 今回からやっと先月の落ち穂拾い。表題作を手にしたきっかけはウロおぼえだが、たぶん、「ウクライナの非ナチ化」という例のプロパガンダ。「非ナチ化?なにそれ?」と思ったものだけど、そんな時代錯誤のような cause でさえ戦争の cause になるのだから恐ろしい。
 などと考えているうちに、久しぶりにナチスものを読んでみたくなった。そこで積ん読の山を見わたすと、本書(New Directions Paperbook 版)の表紙にハーケンクロイツの写真があったのを思い出した。

 作者は Veza Canetti。うかつなことに、レビューをでっち上げる寸前まで、Elias Canetti の妻とは気づかなかった。Elias なら "Auto-da-fé"(1935)だけなぜか所蔵している(もちろん未読)。調べると Elias はブルガリア生まれで、1913年にウィーンに移住。そこでオーストリア人の Veza と出会い1934年に結婚。どちらもユダヤ系ということで1939年に夫婦そろってイギリスに亡命。1963年に Veza が死去。そのあと Elias は再婚し、1981年にイギリス人としてノーベル賞を受賞。以上がふたりの略歴だ。
 この "The Tortoises" にも Dr. Kain という著名な作家が登場する。たぶんモデルは Elias だろう。ともあれ舞台は1938年、ナチス・ドイツによるオーストリア併合直後のウィーン。ユダヤ系の Kain とその妻 Eva はイギリスへ逃れようとしているが、ヴィザがなかなか取得できず、不安な毎日を過ごしている。アルプス越えも頭にちらつくあたり、『サウンド・オブ・ミュージック』を思わせるが、こちらは映画ほど明るくないし劇的でもない。子どもが登場しないし、甘いロマンスもないからだろう。
 タイトルの由来は、当時のウィーンでは甲羅にハーケンクロイツの焼き印を押された亀が土産物として売られていたという話による。べつに調べたわけではないが、いかにも実際にあったようなほかのエピソードにまじって、これだけ純粋なフィクションとは考えにくい。この一件もふくめて、おそらく「作者は小説形式を採用することで、実際に見聞したできごとをつとめて冷静に記述しようとしたのではあるまいか」。
 それゆえ地味な仕上がりで、だからこそ一般には埋もれた作品に近いのだろう。けれども、「夫妻および隣人のユダヤヒルデと、ディナーに招いたナチス高官とのやりとりなど、いかにもリアル。恐怖と接しながら日常生活を送る息苦しさが、ちいさな事件の数々からひしひしと伝わってくる。やがてヒルデの父親は逮捕され、カインの兄も獄死」。どのエピソードもいまでこそ、さもありなん、と思えるものばかりだが、それでも上の時代におけるナチスの実態をいち早く告発した本書の歴史的意義を忘れてはなるまい。
 そこでついでに、本書のあと、ほかにどんなナチスものが刊行されたのかふり返っておこう。当然のことながら、あまりに多すぎるので、独断と偏見で絞ってみると、まずおカタイところで、『夜と霧』、『全体主義の起源』、『青髯の城にて』あたりは必読書。しかし『全体主義~』は邦訳でさえ中途挫折してしまった。せめて "In Bluebeard's Castle"(1971 ☆☆☆☆★★)だけでも、死ぬまでには英語で再読したいものです。

 つぎに、純文学の既読リストやレビューを「ナチス」「ホロコースト」「アウシュヴィッツ」というキーワードで検索したところ、予想どおりたくさんヒット。そのなかで、もういちど読みたいと思ったのは、刊行順につぎの6冊。(5は以前、ほかの作品といっしょに紹介したので、今回単独でレビューを再アップしました)。


1. "Enemies: A Love Story"(1966 ☆☆☆☆)

2. "Sophie's Choice"(1971 ☆☆☆☆★)

3. "The Reader"(1995 ☆☆☆☆)

4. "Dora Bruder"(1997 ☆☆☆☆)

5. "Suite Française"(2004)

Suite française

Suite française

Amazon

[☆☆☆☆★★] 読んでいるうちに思わず絶句してしまった。第二次大戦初期、陥落寸前のパリから脱出する人びとの混乱ぶりは、映画『カサブランカ』に出てくる実写フィルムで知っていたが、あの映像の裏側にかくも凄絶な人間ドラマがあったとは…。むろんフィクションなのだが、ここには実際に阿鼻叫喚の修羅場を経験した者でなければ想像もつかぬような迫真性がある。オートバイに乗ったドイツ兵が、ちいさな村に現れる場面などが一例だ。しかし同時に、この凄まじい迫力は、著者が実体験を通じて人間性の本質を鋭く洞察した結果生みだされたものでもある。死と隣りあわせの極限状況に立たされた人間がさらけ出す醜いエゴ。知性や良心は結局、生存本能の前にもろく消えさってしまうものなのか…。そんな悲痛な叫びが聞こえてくる。第二部は占領下の村が舞台で、小説としてのふくらみがさらに増している。その熟成はやはり、偏見や固定観念を排した著者の人間観察のたまものだ。残忍なはずのドイツ兵が示す思いやり、村人たちとの交流、芽ばえる微妙な恋心。その一方、平時と変わらぬフランス人同士の利害感情や階級意識、家庭内の対立。なかんずく、度しがたいエゴイズム。「人間が複雑な存在であることは自明の理だが、これを理解するには戦争のような重大事件が必要」という文中の言葉はじつに重い。アウシュヴィッツにおける著者の死で未完におわった本書だが、完成していれば不朽の名作になっていたことは想像にかたくない。いや未完のままでも、じゅうぶんに傑作である。用紙節約のため極細の字で書かれた原稿の復元写真を見ると、鬼気迫るような作家魂を感じる。と同時に、この遺作を平和ぼけした国で読み、書評を書くことの意味について考えざるをえない。


6. "HHhH” Laurent Binet(2010 ☆☆☆☆★)

 さらにオマケすれば、つぎの4冊か。
7. "Crabwalk"(2002 ☆☆☆★★★)

8. "Those Who Save Us"(2004 ☆☆☆★★★)

9 "Sarah's Key"(2006 ☆☆☆★★)

10. "The Visible World"(2007 ☆☆☆★★)

 最後に、エンタテインメントから3冊。
11. "The Guns of Navarone"(1957 ☆☆☆☆★★)

12. "The Eagle Has Landed"(1975 ☆☆☆☆★)

13. "Eye of the Needle (Storm Island)"(1978 ☆☆☆☆)

  以上14冊、ナチズムと「非ナチ化」を考えるうえで、読むと参考になるかもしれない私的再読希望リストでした。