ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Percival Everett の “James”(4)

 この一週間、ぜんそくが再発し絶不調。発作が起きると眠れず、朝から一日ボーっとしている。
 のこっていたテオフィリンを服用したところ、古すぎたのが災いしてか、コーヒーとの飲みあわせがよくなかったのか、気分がわるくなり、立ちくらみも。
 おかげで読書も絶不調。あれこれ手を出してみたが、どれも乗れない。
 たとえば "Held"(2023)。第1章の題 River Escaut, Cambrai, France, 1917 を見ただけで、これからどんな話がはじまりそうかピンとくるひとは、イギリスの読者でも相当な文学ファン、歴史ファンにかぎられるのではないか。
 版元もそう案じてか、ハードカバーの表紙裏に上の内容が紹介されている。ぼくはそれを目にするまで、ただただ眠かった。未読のかたは、その紹介を先に読むほうが早わかりだと思います。
 第2章 River Esk, North Yorkshire, 1920 もなんじゃらほい。心霊写真の話題が出てきたときはハッと眠気が覚めたけれど、そのあとべつに深掘りされるわけでもない。上の事情でカフェインいりのガムも控えているぼくは、またしても睡魔に襲われてしまった。
 でもこの "Held"、もっかブッカー賞レースの4番人気なんです。はいぃ。
 突っ込みが甘いという点では、相変わらず1番人気の表題作も同じだ。2年前のブッカー賞最終候補作 "The Trees"(2021)にしても、せっかく「中盤までよく出来たユーモア怪奇小説のおもむき」なのに、後半になると、「前半のユーモアも影をひそめ、なにより、憎悪には憎悪を、暴力には暴力を、という報復律のみでおわる点がいただけない。現実には報復律の超克は至難のわざだが、超克の試みがあってこそ深い内的葛藤が、つまりは一流の文学が生まれるのである」。

 作者の Percival Everett は前回も紹介したとおり、文学のみならず、哲学、生化学、数理論理学などにも造詣がふかく、"James" はとりわけ、その哲学の知識に裏打ちされた設定となっている。「トウェインの原作とちがってジム(ジェイムズ)は標準英語も読み書き話せ、夢のなかでなんと、ヴォルテールジョン・ロック相手に自由思想と奴隷制について議論をかわす」。
 しかしこの議論、じつに陳腐としかいいようがない。要は、ヴォルテール先生、ロック先生、あんたがたは自由がどうの、民主主義がどうのと高尚な話をしておられるが、黒人が奴隷になっている現実についてはどう思われるんですか!
 自由・平等・博愛という例のスローガンがフランス人のためのものであって、フランス人以外、とりわけアジア・アフリカ人のためのものではなかった、などという話は、思い出せばたしか、中2か高2の世界史の授業でも出てきたんじゃなかったっけ。
 本書であらためて、西洋民主主義は白人のものであって黒人のものではなかった、などと聞かされても「陳腐としかいいようがない」。それより、どうせ議論をふっかけるなら、ひとはなぜ自由たらんとして自由たりえず、平等たらんとして平等たりえず、万人を愛さんとして愛しえないのか。そういった問題を深掘りしてほしかったですな。
 一事が万事、この「自由論をはじめ、戦争の大義や、正義と不正義、過酷な二者択一など、明快な答えのない道徳的難問を小出しにしては引っこめるのはいかにも中途半端」。じつはわたし、ここにはこんな深い問題があるって、わかってるんです、はいぃ、と作者が博識をひけらかしているような気がしたのはぼくだけだろうか。(了)

(きょう、ひさしぶりに聴いた後藤浩二のピアノには目が覚めた)