ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Percival Everett の “The Trees”(2)

 いま現地ファンの下馬評をチェックすると、今年のブッカー賞レースで先頭争いを演じているのは相変わらず、表題作と "Small Things Like These"(☆☆☆★★★)、"The Seven Moons of Maali Almeida"。3番めはまだ読んでいる途中だが優勝をうかがう勢いだ。なかなかおもしろいし(暫定評価☆☆☆★★★)、いかにも〈ブッカー賞タイプ〉らしい作風だからだ。
 一方、"The Trees" は分がわるいと思う(☆☆☆★)。それどころか、どうしてこんな作品が "The Colony"(☆☆☆☆)を蹴落としてショートリストにゲートインしたのか、さっぱりわからない。

 その点は勝ち目の薄そうな "Oh William!" も同じだが(☆☆☆★)、同書と "The Trees" はまったく対照的な作品である。"The Trees" はとりわけ後半、政治色が非常に濃いのにたいし、"Oh William!" のほうは無色に近い。だから政治性は選考の基準ではないはずだが、昨今のアメリカ国内の情勢を知ると、それがイギリスの文学賞レースにもなんら影響を及ぼしていないとはいい切れないような気もする。
 ともあれ、本書は前半がおもしろい。ミシシッピ州の Money という、架空に聞こえるが実在する町で奇怪な殺人事件が発生。白人男性が惨殺され、その切り取られた睾丸を、同時に死体で発見された黒人が握っていた。さらに奇妙なことに、モルグに搬送された黒人の死体が忽然と消失。それがふたたび出現したのが第二の白人殺しの現場で、その状況は最初の事件とまったく同じだった。
 この怪奇ミステリとユーモアが渾然一体となっている点がいい。事件を捜査する保安官や警官たち、さらには検視官、被害者の家族など、「どの人物同士の会話も皮肉たっぷりでクスっと笑わせ」る。一例を挙げようと思ったが、掛け合いのおもしろさを伝えるには長い引用となりそうなので割愛。
 と、ここまでは「よく出来たユーモア怪奇小説のおもむき」なのだが、それが後半つまらなくなる。一連の事件の背景に、1955年、Money で実際に起きた黒人少年のリンチ殺人があることが判明してからシリアス度が増し、ってことはユーモア度が減る。おまけに、Money だけでなく全米各地で同様の事件が頻発するようになると「画一的な描写が目だち」、なんとホワイトハウスでも発生したときは、その濃い政治色にゲンナリしてしまった。
 べつにアピールそのものは、どうぞご自由に、なのだけど、「目には目を、歯には歯を」という報復律一本槍では芸がなく白ける。その具体的内容は一連の殺人にかかわっているので伏せておくが、ひとつだけいうと、上の猟奇的な現場の状況と、死体の消失・再出現の謎についてはまったくスルー。ミステリ的な興味を誘うだけという結果におわっている。これ、反則だろう。純文学だから許されるってものじゃない。
 こんな中途半端な、しかし政治的には極端な作品が高く評価されるということには、なにか裏があるのでは、とあえて勘ぐってみると、個人的に思いあたるのは、近年アメリカで大きなうねりとなっている wokeness「社会正義への目ざめ」というリベラルな意識改革運動だ。その中核にあるのは反黒人差別運動で、これは「黒人善、白人悪」という絶対的な善悪二元論を土台とし、この見方にたいする批判はいっさい許されず、言論弾圧へとつながっている。
 "The Trees" における「報復律一本槍」も、こうした wokeness と同じ文脈にあるのではないか。つまり、善人である黒人が悪人である白人に報復をすることは絶対的に正しく、反論の余地がない。ゆえに一本槍。
 それは一本調子ということでもあり、本書の文学作品としての価値を下げる要因となっているように思う。むろん「現実には報復律の超克は至難のわざだが、超克の試みがあってこそ深い内的葛藤が、つまりは一流の文学が生まれる」というのがぼくの立場だ。
 けっきょく、本書は文学作品としてではなく、「政治作品」として高い評価を受け、そのことが大西洋を越えてブッカー賞選考委員の頭にもちらついたのではないか。ゲスの勘ぐりかもしれないけれど、そんな気もするほど本書がショートリストに選ばれた理由がよくわからない。

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD)

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