ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Brandon Taylor の “Real Life”(2)

 やっとブッカー賞の季節が終わった。ぼくは今回、春先に Hilary Mantel の "The Mirror & The Light"(2020 ☆☆☆★★)を読んだあと、ショートリストの発表まで高みの見物。おなじブッカー賞でも、過去の受賞作や候補作を catch up していた。
 もう昔のように、現地ファンの下馬評をたよりに、ロングリストの発表前から有力候補作を追いかける余裕は、年齢的にも金銭的にもない。コロナの時代の年金生活者としては、ブッカー賞にかぎらず、当たりはずれの多い新作よりも、定評のある旧作に手を伸ばさざるをえない。〈これを読まずに死ねないで賞〉の候補作群である。
 とはいえ、積ん読中の名作傑作ほどではないけれど、新作もやはり気になるのも事実。そこで予算と相談しつつ、有名な文学賞の、せめてブッカー賞くらいは最終候補作が出そろったところで取りかかることにした。
 さてこの "Real Life"、個人的にはとても懐かしい要素があった。主人公の Wallace は、奨学金をもらいながら大学院で生化学の研究をつづけているが、成果がなかなか上がらず、こう迷っている。But sometimes I'd like to live in it ― in the world, I mean. I'd like to be out there with a real job, a real life.(p.132)
 ぼくも学生時代、バイトもせず、親の仕送り(いまや死語?)だけで三文小説ばかり読んでいた。Wallace ほど深刻に悩みこそしなかったけれど、やはり肩身の狭い思いをしていたことはたしかで、そのあげく、宙ぶらりんの生活をつづけるか実社会に出るか、二者択一を迫られたものだ。だから "Real Life" を読んで懐かしかった。
 しかしもし、本書がそういう学生の進路の悩みを描いただけのものだったとしたら、陳腐も陳腐、およそまともな文学作品たりえなかったにちがいない。つまりこれは、Wallace が白人優位社会における黒人であり、ゲイであることによって初めて成り立っている。
 そこで興味ぶかいのは、そんな黒人もゲイも「文学的にはもはや陳腐な素材」だということだ。俳句でいえば、「一物仕立て」としては斬新な句がつくりにくい季語。その季語を上の進路の悩みもふくめ、三つ「取り合わせ」ることで秀句が出来あがっている。"Real Life" はそういう作品である。
 なかでもゲイの話がいちばん強烈だ。べつにセクシュアルな場面だけでなく、What is the source of kindness? What causes people to be kind to each other? .... Kindness is something owed and something repaid. Kindness is an obligation.(p.171)などと主人公が考え込んだりする点でも、ふつうの現代的な男女のラヴストーリーとは、ひと味ちがっている。ちょっとした感情の行き違いでも面白く読めるのは、あながちぼくが straight だからというわけでもなさそうだ。
 そういえば以前、「ゲイ小説名作選」と題した記事を書いたことがある。あそこにこの "Real Life" を追加しておくことにしよう。 

 なお、real life とは、上の引用箇所からもわかるように第一義的には「実生活、実社会」の意だが、本書の幕切れ近くには、こんなくだりもある。This too could be his life, Wallace thought. .... The sharing of time. The sharing of the responsibility of anchoring oneself in the world. .... People take each other's hands and they hold on as tight as they can, they hold on to each other and to themselves, and when they let go, they can because they know that the other person will not.(pp.309-310)
 要するに「共生」。これがタイトルの真意だと思うのだが、どうでしょうか。

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD) 

バッハ:音楽の棒げ物

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