前回の記事をアップしたあと最寄り駅近くのジムに出かけたら、玄関先に大きな門松が飾ってあった。とうに古稀をすぎたぼくには、門松や冥途の旅の一里塚というわけだが、きょうは大みそか。大みそか冥途の旅の道連れ本となるかどうかはさておき、毎年恒例の年間ベスト小説を選んでみるとしよう。
しかしその前に、今年はなんといっても、文学の領域を超えた世界全体の回顧からはじめないといけない。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻により国際情勢は激変したかに見えるが、本質的には人間性にかんする問題が以前より顕在化しただけのこと。正義は相対的なものなのか、力は正義なのか、とじっくり考える(その余裕があるひとには)時代がやってきたのではないか。
そうした点を背景に、ぼくが少しだけ知りえた海外文学の動向をふりかえると、いまのところまだ、上の侵攻が作品そのものに影を落とした例はないようだ。がしかし、ぼく自身、侵攻開始以前と以後とでは、小説の読みかたが一部変わってしまった。多少なりともあの問題とかかわりのある箇所に、どうしても目が止まってしまうのだ。
それがそのまま作品の評価につながったわけではないけれど、少なくとも、アプローチのひとつにはなったように思う。来年もきっとそうだろう。
たとえば、今年のピューリツァー賞受賞作 "The Netanyahus"。このドタバタ喜劇で Your democracy... [is] nothing.(p.215)というくだりが出てきたときは、思わずドキッとした。your とはむろん American の意だが、それを Japanese と読みかえたとき、ぼくたちはどれだけ自信をもって反論できるだろうか。
ウクライナではあれほど血が流れているのに、この国では森鴎外のいったように、「要スルニ世間ハマダノンキナルガ如ク被存候」。自由と民主主義を守るという掛け声は勇ましくても、そのために大半の一般市民が血を流す覚悟ができているとはとても思えない。そんな覚悟のないものは、それが民主主義だろうと平和だろうと、すべて nothing ではなかろうか。映画『武士の一分』の宣伝文句をもじっていえば、「命をかけて守りたい愛」でない愛なんぞ、早晩うたかたのごとく消えてしまうに決まっている。
文学賞のもう一方の雄ブッカー賞の候補作でも、同様に考えこむことがあった。"Small Things Like These" は、「これを読んで心を動かされないひとはたぶん、いないだろう」と思われるほどの佳篇だけれど、ぼくは感動をおぼえると同時に、「他人の不幸を座視することは悪だが、自己犠牲ほどむずかしい善行もない」と冷静にならざるをえなかった。自国の利益を犠牲にしてまでウクライナを支援している国はひとつもないからだ。
"The Colony" ではまさに喫緊の課題が提出されている。ゴーギャンの名画のタイトル、Where Do We Come From? Where Are We? Where Are We Going? が、the questions still unanswered of how we exist together on this earth という人類共存の問題として語られ(p.331)、処方箋ではないにしても解決の方向性が示されている。「ものごとを単独の視点から固定的にとらえるのではなく、すべてを変化・発展する連続した平等の存在としてながめる」。それが至難のわざだからこそ紛争が絶えないわけだが、あらためてそう気づかされる作品は少ない。
といっても、だから同書を高く評価したわけではない。登場人物がかわす「静かな会話には終始一貫、内面的な分裂と、おたがいの立場の相違から生まれる緊張感がみなぎっている。そこにユーモアと皮肉もまじる絶妙な話芸は、思わずため息が出るほどだ」。その「ただごとではない静寂と緊張」に感服したのである。
というわけで、リアルタイムで読んだ作品としては、2019年のブッカー賞最終候補作 "Quichotte" 以来、じつに3年ぶりに☆☆☆☆を進呈。自動的にこれが今年のベスト小説で、ベスト3は以下のとおり。
1. "The Colony"(2022 ☆☆☆☆)
2 ."The Netanyahus"(2021 ☆☆☆★★★)
3. "Small Things Like These"(2021 ☆☆☆★★★)
一方、名作巡礼では☆☆☆☆どころか、☆☆☆☆★も乱発してしまった。☆4つ以上の作品を読んだ順に並べてみると、
1. "Mrs Dalloway"(1929 ☆☆☆☆★)
2. "Snow"(2002 ☆☆☆☆)
3. "La Place de l'Étoile"(1962 ☆☆☆☆)
4. "Pedro Páramo"(1955 ☆☆☆☆★)
5. "Hunger"(1890 ☆☆☆☆)
6. "Things Fall Apart"(1958 ☆☆☆☆★)
7. "The Tartar Steppe"(1940 ☆☆☆☆)
8. "Blindness"(1995 ☆☆☆☆★)
9. "Season of Migration to the North(1966 ☆☆☆☆★)
10. "The House of the Spirits"(1982 ☆☆☆☆★)
たまたまちょうどベストテン。どれも定評のあるものばかりで、え、あんたまだ読んでなかったの、それにそのレビューとやら、えらく陳腐ですな、いやいや、ひどい勘ちがいですな、とヒンシュクを買いそうだが、上のとおり古稀をすぎ、生き恥をさらすことにもほとんど馴れてしまった。
ともあれ、最近のベストセラーや文学賞の関連本を読むか、古典や名作を読むか、というのは文学ファンならおそらくいつも悩むところ。ぼくの場合、お迎えがまだ来ないうちに、いま以上にボケないうちに、という時間的な制約があり、「これを読まずに死ねないで賞」候補から先に片づけ、ちょっとだけ流行を追いかけるようにしている。
最後に、自己マンの拙文にスターをつけてくださったかた、あらたに読者になっていただいたかた、そのつどお礼を申し上げねばと思いつつ、今年もズボラに放置してしまいました。ここでお詫びとともに感謝申し上げます。みなさま、どうぞよいお年を!
(下は、この記事を書いたあと聴こうと思っている第九のCD。ほんとうは、いま聴いている Mythos 盤を挙げたかったのだけど、廃盤のせいかアップできなかった)