ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Evelio Rosero の “The Armies” (2)

 本書を読みおえたのは3日前の夜ふけだが、そのあと布団の中で、「文字どおり腰が抜けたようになった」。これは比喩ではない。その余韻は今でも少しのこっている。さほどに「衝撃的な結末」だった。
 このブログにレビューらしきものを書いたのは、これでちょうど350冊目になる。そのうち、戦争小説と呼べるものが何冊あるかは知らないが、衝撃度という点では本書は随一かもしれない。戦時における人間の内面の追求というぼく好みの観点からしても、Irene Nemirovsky の "Suite Francaise" と、Chimamanda Ngozi Adichie の "Half of a Yellow Sun" につづいて第3位にランクインすると思う。ちなみに、物語性という点では、Julie Orringer の "The Invisible Bridge" と Karl Marlantes の "Matterhorn" がすばらしく、スペイン内戦を間接的にえがいた Carmen Laforet の "Nada" も心にしみる作品である。ノンフィクションだが、Ishmael Beah の "A Long Way Gone" でも重要な問題が提起されていた。
 少しだけネタを割ると、この "The Armies" では兵士たちの蛮行がえがかれる。彼らはまさに鬼畜のごとき存在であり、そこには人間の心がひとかけらもないかのようだ。その意味では紋切り型とも言えるのだが、ぼくが思わず唸ったのは、自分も彼らと同じく下劣な人間なのではないか、と主人公が自問自答しているくだりである。つまり、「心の奥底にひそむ獣性と、それをどこまでも疑う良心とのせめぎあい」である。これを読めば読者もまた、主人公と同じように自問自答せざるをえないだろう。ひょっとしてぼくも、と思うと、「腰が抜けたようになっ」てしまったのである。こうした内面の追求があればこそ、それを読者に訴えていればこそ、本書における蛮行の描写は、見かけとちがって決して紋切り型ではないのである。
 一方、戦時における同様の蛮行をえがいた小説に、たとえば Janice Y. K. Lee の "The Piano Teacher" や、Tan Twan Eng の "The Garden of Evening Mists" がある。彼ら○○系の作家は、「人間を簡単に善玉と悪玉に分けてしまう人間観」の持ち主であり、人間の営みを物語る歴史についても、一国の「歴史の光と影を影一色に塗りこめて」しまう歴史観の持ち主である。……という意味のことを Eng の作品について書いたところ、ああ、このブログ主は戦争を肯定し、侵略を正当化する○翼だな、と思われた方もいるのではないかと推察する。ここで少し反論すると、そういうレッテル張りの紋切り型思考にこそ、じつは「全体主義の恐怖が、虐殺の論理が(、ひいては戦争の論理が)ひそんでいる」のだ。ともあれ、○○系の作家の一部は、政治的プロパガンダに目がくらみ、人間の内面の追求が足りないのではないか、と思えるフシがある。(伏せ字にした理由は、数少ないリピーターの方ならご存じの事情で、妙な○○操作を防ぐためです)。
 つい脱線してしまったが、この "The Armies" は最初、「助平じいさんの楽しいエロ話かと思いきや」、読み進むうちに「人間の二面性を提示した」深みのある作品であることがわかり、最後は「衝撃の結末」が待っている。コロンビアの内戦の模様をえがいたものだが、たまたま去る2月に読んだ、同じくインディペンデント紙外国小説最優秀作品賞の昨年の受賞作、Santiago Roncagliolo の "Red April" も、ペルーのゲリラ戦争を扱ったじつに重い作品だった。南米の闇は深い、ということだろうか。