ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“Dance of the Happy Shades” 雑感 (4)

 いやはや、ゆうべはほんとに驚いた。1日1話の超スロー・ペースながら、自分がまさにいま読んでいる作家がノーベル賞を受賞するとは!
 べつに予想していたわけではない。それどころか、例年どおりノーベル文学賞なんてまったく関心がなかった。世のハルキストたちは今年こそ、と固唾をのんで見守っていたかもしれないが、ぼくはなにしろ『海辺のカフカ』を2年がかりで読んだくらいで、彼の熱心なファンではない。
 閑話休題。きょうは先ほど帰宅したばかりで、夕飯もまだすませていない。疲れ切っているので、ほんのすこしだけ "Dance of the Happy Shades" について雑感の続きを書いておこう。
 下手な短編小説はいわゆるオチだけで持っている、かどうかはわからない。が、上質の作品なら、たとえオチがあっても、それがすべてではないことは確かだろう。それどころか本書の場合、いままでの雑感で紹介した第1話をはじめ、オチはない、といってもいい。もちろん読後に深い余韻はのこるのだが、それは結末だけによるものではない。
 それから、その昔、「短編小説は閃光の人生!」と帯に銘打った某社の短編小説シリーズがあったが、あの名コピーから連想するのは、すぐれた短編とは人生の断面を鮮やかに切りとるもの、というイメージである。これはぼくもひとつの評価基準にしていることが多い。
 そういう目で見ると、第1話の引用部分など、たしかに「人生の断面を鮮やかに切りと」った場面かもしれない。が、「鮮やかに」という表現が気にかかる。旧知の男女のあいだに「そこはかとなく、しかし明らかに」流れている「空気」。あの描き方は切れ味の鋭さというよりむしろ、「深い複雑な思い」が凝縮された濃密な世界を、愛情をこめて見つめる暖かみを感じさせるものではないだろうか。
 そう、ほのぼのとした暖かみも本書の特徴のひとつなのである。