ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Alan Hollinghurst の “The Line of Beauty” (5)

 きのうの駄文を読み返すと、ああ、これは某先生の猿マネだな、という気がする。ある小説が instructive かどうかを、人生の真実が描かれているかどうかで判断する立場だ。とそう書いただけで、さっそくお叱りの声が飛んできそうだ。こら、もっと厳密に書け!
 一方、ほかにもうひとり恩師がいて、その先生には、何を読んでも instructive、どんな小説でもどこか interesting ということを教わった。これを要するに、「小説にはいろんな読み方があっていい」。
 だから、ぼくが「得るものは何もない」と酷評した "The Line of Beauty" にしても、いやいやすばらしい作品だ、と高く買う人がいてもべつにフシギではない。事実、これは2004年のブッカー賞受賞作である。それだけ多くの支持を得たということだろう。
 「いろんな読み方があっていい」なら当然、評価に関しても、人は人、ぼくはぼく、ということになる。それゆえ本書の選評その他、批評はいつもながら、いっさい読んだことがない。が、たぶんここが称賛されたんだろうな、と思える点はある。ぼくのレビューの書き出しだ。「装飾的で複雑な文体で織りなされた耽美的な禁断の世界」。
 少しだけ補足すると、前々回にレビューを再録した "The Stranger's Child" についてのホメ言葉がそのまま当てはまると思う。「重厚にして緻密」。「精緻をきわめた描写」。「耽美主義、芸術至上主義の立場からすれば秀作」というわけだ。
 ただし、それらの美点が本書の場合、ぼくには美点とは思えなかった。中盤過ぎまでパーティー、雑談、男と男の濡れ場の連続で、しかもそれが上のような文体で描かれる。とにかく単調にして冗長。大昔、ロスかどこかの有名レストランで食べた、まるでワラジのようなビフテキみたいに胃がもたれる。体力の差でしょうか。
 その点、次作の "The Stranger's Child" のほうが、「百年近い歴史の中で男と男、ときに男と女の恋愛感情がコミカルに、性的に、隠微に、はたまた快活に、さまざまな人物の視点から描かれる」など変化に富んでいる。Hollinghurst としては、おそらく "The Line of Beauty" の二番煎じとなることを避けたかったのだろうが、それは同時に彼の作家的成長を物語るものでもあるような気がする。
(写真は宇和島市堀部公園)。