ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Alan Hollinghurst の “The Line of Beauty” (4)

 ぼくは小説の題材については非常に寛容で、interesting かつ instructive であれば基本的に何でもいい、と思っている。たまにカチンとくるものがあり、その最たる例は露骨なプロパガンダ小説だが、それは政治色が濃いあまり、小説としてのふくらみに欠けているから評価できないだけの話だ。主義主張が問題なのではない。
 たとえば、何年か前に読んだ Tan .... の "The Garden ...."。あれは全体としてはいいのだけれど、日本兵のくだりが小説家らしからぬ紋切り型で、カチンというか、これでブッカー賞最終候補作かと思うとガックリきましたな。(伏字にしたわけは、Chi .... 系の作家にケチをつけると怖いことになる場合があるからです。詳しくは http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20120912 とその続きを参照)。
 というわけで、ぼくはゲイ小説だからといって毛嫌いするとか、それだけで評価を下げるといったことはない。要は上手か下手か、それによって面白さが決まる。
 ただし、有益かどうかという点になると、ゲイ小説のハードルは高くなりそうだ。ゲイの世界でなければ描きえない人生の真実にどんなものがあるか、ぼくには想像もつかないからだ。恋愛についてなら男女関係だけで十分、いや十分すぎるほど語れるはずなのに、どうしてゲイでないといけないのか。その必然性というハードルを超えてはじめて、ほんとうに instructive なゲイ小説と言えるのではないか、という偏見をぼくは前から持っている。「性的嗜好のちがい」だけなら instructive でも何でもない。なんだかミもフタもない独断ですけどね。
 さて、そうした独断と偏見の目で見ると、この "The Line of Beauty" も次作の "The Stranger's Child" も五十歩百歩。有益さという点ではどちらも☆☆☆。説明ぬきに前者からこんな一節を引用してみよう。'Still, they had all the rest, sex, money, power: it was everything they wanted. And it was everything Gerald wanted too. There was a strange concurrence about that. Nick felt his life horribly and needlessly broken open, but with a tiny hard part of himself he observed what was happening with detachment as well as contempt. He cringed with dismay at the shame he had brought on his parents, but he felt he himself had learned nothing new.' (p.472)
 ひとつだけ注を加えると、Nick は本書の主人公。その彼が「自分自身、新しいことは何ひとつ学んだような気がしなかった」という。ぼくはこのくだりを読んだとき、それまでずっと感じていたことを実証されたように思った。ぼくのレビューを引用しておこう。「終わってみればセックス、金、権力の三点セットが売りのスキャンダル小説。ゲイが前面に出てこなければ陳腐きわまりなく、本書から得るものは何もない」。
 ただし、冒頭の続きになるが、小説にはいろんな読み方があっていいともぼくは思っている。次回はその話かな。
(写真は宇和島市来村(くのむら)川。堀部公園前のこの暗淵(くらふち)で、昔は近所の子供たちがよく泳いでいたそうだ)。