先月末から愛媛の宇和島に帰省していた。あちらは例年にない寒さで、桜は一週間遅れ。けさもまだ満開にはほど遠かった。こんな異変はちょっと記憶にない。
帰る途中、松山で『この世界の片隅に』を観た。なんの予備知識もなく、ただの時間つぶしだったが、映画館でもらった夕刊の全面広告によると、各賞を総ナメの傑作アニメらしい。
が、ぼくは一度観ただけで十分。ヒロイン北條すずのホンワカしたキャラは大好きなのだけど、戦争と庶民の生活を対比させながら、戦争の悲惨さを静かに伝えるという、従来の反戦映画のパターンを大きく打ち破るものではない。何より、これを観てもなぜ戦争が起こるのかサッパリわからない。それなのに、戦争って悲惨だよね、というだけでは一方的なメッセージにすぎない。
向こうに着いてから、寝る前に少しだけ『まほろ駅前多田便利軒』を読んだ。『木暮荘物語』がとてもよかったからだが、これまたおもしろい。が、いまのところ、ぼろアパートをめぐっていろんな人物の出てくる『木暮荘』のほうがぼく好み。貧乏長屋育ちのせいかな。
行き帰りの飛行機や電車の中で読んでいたのが "The End of Days"。いくつか前回の訂正をしないといけない。
まず、「現代の話らしい」と書いたが、本当は20世紀初頭の物語だった。舞台はオーストリア=ハンガリー帝国の田舎町。生後まもない赤ん坊が死亡。妻は悲嘆にくれるが、夫はアメリカに移住する。
その妻がユダヤ人で、彼女の父親は暴徒に殺される。そこで「ナチスがからんでいるようだ」と早トチリしてしまったが、父親を襲ったのは、実際はポーランド系住民だった。
というのが第1部で、そのあと、もし奇跡が起これば赤ん坊は死んでいなかったのに、という趣旨のインターミッション。
さて、第2部に入り、舞台は第一次大戦後のウィーン。やや、死んだはずの赤ん坊が生きているではないか! としか思えないような物語が続いている。ううん、これもぼくの読み違いか。
そう思って裏表紙を見たら、'If you think this sounds like Kate Atkinson's Life After Life, think again.' という Sunday Times の短評が載っていた。ふむ、してみると、あながちぼくの勘違いではないかもしれない。
ともあれ、「その子」は第2部では母親になり、二人の娘をもうけている。娘たちの祖父はアメリカかどこかに移住したらしいが、実際はウィーンにいるのかも、などという説明もある。はて、パラレル・ワールドということなんだろうか。
(写真は、宇和島市来村(くのむら)川。けさ撮影したばかり)