ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Steven Millhauser の "Dangerous Laughter"(3)

 本の売れ行きは知らないが、少なくとも最近の文学好きの若者のあいだでは、ミルハウザーは高く評価されている作家の一人だろうと思う。というのも、何年か前、ある大学生に小説の原稿を読んでくれと頼まれたことがあるのだが、彼の作品には明らかにミルハウザー村上春樹の影響が認められ、その点を指摘すると、「やっぱりわかりましたか」と笑っていた。
 で、その学生には遠慮して言わなかったのだが、ぼくは彼の作品に対し、今回の "Dangerous Laughter" と同じような感想をいだいた。「これを読んでも、目から鱗が落ちるような人間に関する発見は得られない。とすれば、こんな異形の世界を創出する意味はどこにあるのだろうか」。たしかに文章は非常にうまく、細部を丹念に積み上げていくうちに、現実がいつのまにか変容し、異次元の世界へと移行する。荒削りながらその流れに説得力があり、さらに磨きをかければ作家への道を歩めるかもしれない。が、彼は現実を超えることに、どんな意味を見いだしているのだろうか。また、その超えるべき現実とは何なのか。
 話は少しずれるが、ぼくはハリー・ポッターのたぐいをいっさい読まない。たしかに面白いんだろうなと思いつつ、もしファンタジーが実際の現実とは無関係で、読後も自分の生き方にかかわってこないのなら、それは娯楽小説に過ぎない。エンタメならぼくは、つい10年ほど前まで腐るほど読んでいた。だから今さらファンタジーなんて…と頑迷固陋、無知蒙昧を承知の上で読まず嫌いなのだ。(とはいうものの、いつか読もうと思って、じつはちゃっかり原書はそろえている)。
 むろんミルハウザーはエンタメ路線ではない。が、上記の学生の作品はミルハウザーのコピーに近かっただけに、そのパターンを明確に浮き彫りにしていた。"The Barnum Museum" にはすっかり魅了されたぼくだが、亜流作品を読むことによって、その魅了には幻惑の部分もあったのでは、と気づいたのである。つまり、ミルハウザーは「現実を超えることに、どんな意味を見いだしているのだろうか。また、その超えるべき現実とは何なのか」。
 結論を述べると、この "Dangerous Laughter" は、以上のようなぼくの先入観を打ち破るものではなかった。それどころか、ぼくはますます、「ミルハウザーってのは細部は面白いけれど、なんか心に響いてこないんだよね…」と言いたくなってきた。サラリーマンの泡沫ブログを英文科の学生や先生方が読むわけはないが、もし間違って拙文を目にしたら、「だから素人は困るんだなあ、本物の良さがわからないなんて」と呆れることだろう。