ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Toni Morrison の "A Mercy"(2)

 ノーベル賞作家の新作を読むのは、去年のブッカー賞最終候補作に選ばれた J.M. Coetzee の "Summertime" に次いで2冊目だが、出来ばえはこちらのほうがずっといい。雑感にも書いたとおり、『ビラヴド』の記憶はほとんどないものの、これならノーベル賞作家にふさわしい力作だと感心した次第である。
 その雑感を今読みかえすと、ワインを飲んだ前後に書いたせいか支離滅裂、それどころか、ふやけた感傷にひたっていて、この作品の本質が少しも見えていない。お恥ずかしいかぎりだが、弁解するとあれは経過報告。主人公の黒人娘 Florens が解放奴隷の鍛冶屋に恋をするくだりを読んで、「テーマは、ううん、孤独な人間同士の結びつき…孤独と愛…かな」と勘違いしてしまった。その恋の行く末を読んでやっとわかったのだが、「孤独な人間同士の結びつきという安易な解決策」をいっさい提示していないところがまず本書の美点である。
 昨日のレビューにも書いたが、本書に登場するのは孤児、もしくは孤児同然の人間ばかり。それが一時期、農園全体として幸福な家族を築いたかに見えたものの、すべては虚妄に過ぎなかった。'They once thought they were a kind of family because together they had carved companionship out of isolation. But the family they imagined they had become false. Whatever each one loved, sought or escaped, their futures were separate and anyone's guess.' (pp. 153-154) この状況を雑感の「ふやけた感傷にひたっ」た言葉で表現すると、「人間はすれ違いに勘違い、しょせん孤独だなあ」ということになる。
 だが、トニ・モリスンは感傷にひたることも、「安易な解決策」を示すこともなく、Florens にこう語らせている。'I am become wilderness but I am also Florens. In full. Unforgiven. Unforgiving. ......Slave. Free. I last.' (p.159) ぼくはこのくだりを読んで、何だか胸のつかえがおりるような思いがした。家族と生き別れ、今また恋人と別れた黒人奴隷の娘が放つ、'Slave. Free. I last.'  なんと感動的な言葉ではないか。
 というわけで、「愛する者との別離を強いられ、過酷な運命を背負いつつも、心の自由を保って生き続けようとする。希望にあふれているわけでも絶望に満ちているわけでもない人生。そんな黒人奴隷の姿は、孤独な現代人の生き方に通じるものがあ」る。その点こそまさに本書の最大の読みどころだと思うのだが、さらに言えば、ここには政治的な主義主張がまったくない。どこかの国には、やれ自由がどうの、やれ人道主義がどうのと読者にお説教を垂れるノーベル賞作家もいるが、さすがはトニ・モリスン、そんなデマゴーグとは大違いで、あくまでも静かに人間存在の孤独を見つめている。これを読んだからといって処方箋が得られるわけではないが、少なくとも生きる勇気がわいてくる。感服しました。