ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Howard Jacobson の “The Finkler Question”(2)

 昨日、本書のレビューらしきものを書くとき、はたと困ってしまった。美点がほとんど見当たらなかったからだ。小説にかぎらず出版物を商業ベースに乗せることがいかに大変な作業であるか多少は心得ているので、ぼくは基本的にレビューではホメホメおじさんに徹しているのだが、それでもたまには例外がある。これで今年のブッカー賞候補作を読むのは9冊目だが、ブッカー賞にかぎらず、読んでいてこんなに退屈だった作品も珍しい。去年の最終候補作でいちばんつまらなかった Adam Foulds の "The Quickening Maze" よりもさらにつまらない。どうしてこんな凡作がショートリストに残ってしまったのか。
 察するに、本書で描かれているようなユダヤ人排斥運動がイギリスでは実際にあり、それが深刻な社会問題となっている、あるいはなりつつある。それゆえ、それを小説化したものを選ぶことによって読者に注意を促す意味がある。そんな政治的配慮が働いたのではないか、ということくらいしかぼくには想像がつかない。選考委員はほんとうに、本書のほうが David Mitchell の "The Thousand Autumns of Jacob de Zoet" や Paul Murray の "Skippy Dies" などよりも優れた文学作品だと思っているのだろうか。もしそうだとすれば、この世にはまったく波長の合わない人間がいるものだとしか言いようがない。
 「美点がほとんど見当たらなかった」と書いたが、雑感(1)でも報告したとおり、まったくないわけではない。「いかにもイギリスの小説らしく、主要な人物の性格や心理がじっくり練りあげられ、それぞれの心理が絡みあうちに主筋が悠々と流れる。傍流と思われるようなエピソードもしばしば織りまぜられ、物語に厚みをもたらしている」。だが、そんなことは商業ベースに乗った作家ならあまりにもイロハの芸当であって、ことさら美点というほどでもない。それがいちおう美点と言えるにしても、その効果があるのは序盤だけで、ネタをばらすわけにはいかないが、「結末から冒頭の予言をふりかえると、あれはいったい何だったのかと疑問に思ってしまう」。竜頭蛇尾もいいところなのだ。
 …ああ、書けば書くほど酷評になってきた。もうやめよう。本来なら、なぜ退屈なのかを詳細に説明すべきところだが、その骨子は昨日のレビューに書いたとおりだ。とにかく、本書が栄冠に輝かないことを切に祈る次第である。