ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Kevin Barry の “City of Bohane” (2)

 本書は雑感にも書いたように、今年のブッカー賞のロングリストに選ばれそうな作品ということで興味を惹かれた。実際、中盤過ぎくらいまではかなり快調で、これはひょっとしたら…と期待をふくらませていたのだが、後半になって失速。読了後の今は、本書のロングリスト入りはないだろうと予想している。
 いちばん気になったのは、2053〜54年という近未来を舞台にすえる必然性がイマイチはっきりしないことだ。ぼくの数少ないSF体験をふりかえっても、アーサー・C・クラークの『幼年期の終り』や、レムの『ソラリスの陽のもとに』などは、テーマと作品世界が完全に一致していて、なぜあんな設定にしなければならなかったのかがよくわかる。さらに言えば、SFという手段が大いに効果を発揮するテーマのSFがぼくのゴヒイキで、オーウェルの『1984年』がその最たる例。
 ところが本書の場合、ギャングの抗争や内紛が素材ということで、それなら現代が舞台でも十分ではないのか、という疑念がのこる。たしかに、「古代ローマの世界を思わせるような蛮族」も登場するくだりは、さしずめ「スター・ウォーズ」か「マッドマックス」か、といったおもむきだが、映画の迫力には遠く及ばない。「一種独特の架空の世界が次第に浮かびあがってくる」ものの、その完全な構築には著者の関心がないからだ。
 では、著者が本書でいちばん描きたかったものは何か。奇抜な設定やギャングの抗争などは目くらましで、じつは意外と単純な人情劇に主眼があるような気がする。ただ、それが「基調をなしている」と言えるほどインパクトがあるわけでもない。この点を説明するには、「なぜ昔のボスが街を飛びだし、そして25年ぶりに街に帰ってきたのか」という謎の種明かしをしなければならないが、その謎が明らかになったとき、何だこりゃ、とがっかりしてしまったことだけ述べておこう。
 ともあれ、「魅力的な設定で始ま」りながら、「後半になって失速」したのが惜しまれる。本書がもしロングリストに選ばれるとしたら、「すこぶる生々しい…凄まじい言葉の奔流」が第一のポイントだろう。裏表紙には、「ジョイスアンソニー・バージェスと出会った」ような作品と紹介されている。ものすごい賛辞だが、さてどうでしょうか。