ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“The Death of Ivan Ilyich & Other Stories” 雑感 (3)

 今日は第6話 "Master and Man" と第7話 "Father Sergius" を読了。前者は、日ごろの怠惰な生活で腐りかけている老脳には刺激が強すぎる名作3編が続いたあとの、ちょっとしたコーヒー・ブレークだった。自己犠牲が喜びをもたらし、物欲から心を解放し、人間を神の世界に近づけるという寓話と思われる。
 "Father Sergius" は、じつは今回いちばん読みたかった短編だ。8年前に読んだ Penguin Classics 版の "The Kreutzer Sonata and Other Stories" には未収録で、ぼくの検索の仕方がわるかったのか、当時はたしか、ほかの Penguin 版短編集でも読めなかったはずだ。その後、現代の英米文学に傾斜していくうちに検索を怠ってしまったが、今年の初め、ふとトルストイを読みたいと思ったとき、本書 (ハードカバーは09年刊) に収録されているのを発見。しかも何と、Pevear & Volokhonsky 夫妻の訳ではないか!
 大昔、邦訳で読んだときも、次のくだりには傍線を引いた憶えがある。'....the inner struggle, which he [Father Sergius] had not expected. The sources of the struggle were two: doubt and fleshly lust. These two enemies always rose up together. It seemed to him that they were two different enemies, whereas they were one and the same. ....he thought they were two different devils and struggled with them separately. (p.269)
 ところが、隠者として生活していた神父を誘惑しに女が現われたとき、神父が自分の fleshly lust に抗すべく、自分の人差し指を切断するくだりはすっかり忘れていた。おかげで新鮮なショックを覚えた。そう、まさにこんな知的刺激がほしかったのだ。
 ともあれ、"The Death of Ivan Ilyich"、"The Kreutzer Sonata"、"The Devil" と、この "Father Sergius" に共通しているのは、どの主人公も the inner struggle をかかえていることである。それも喜怒哀楽という感情的な葛藤ではなく、「道徳的煩悶」である。ここに現代の大半の作品との決定的な違いがある。これをキーワードに4作をふりかえろうと思ったが、もう夜更けでとてもそんな時間はない。毎度中途半端だが、今日はここまで。