ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“If on a Winter's Night a Traveler” 雑感 (3)

 新年度が始まり超多忙。そこへ読みはじめたのがメタフィクションとあって、すっかりカタツムリ君になってしまった。おととい紹介したように、David Mitchell は、本書の執筆をめぐる Calvino の瞑想に 'enthrall' されたとのことだが、ぼくはむしろ 'enervate' されている。
 その原因のひとつは、これが「読めば読むほどゴチャゴチャして」くるからだ。もつれた糸を解きほぐすつもりで、少しずつポイントを整理しておこう。第1の断章 'If on a winter's night a traveler' には、こんなくだりがある。Your attention, as reader, is now completely concentrated on the woman, already for several pages you have been circling around her, I have―no, the author has―been circling around the feminine presence, for several pages you have been expecting this female shadow to take shape the way female shadows take shape on the written page, and it is your expectation, reader, that drives the author toward her; and I, too, though I have other things to think about, there I let myself go, I speak to her, I strike up a conversation that I should break off as quickly as I can, in order to go away, disappear. (p.20)
 どうです、いかにもメタフィクションらしいでしょう。the woman というのは、まあ、ここで顔を出した女、という程度の認識で十分。問題は、この 'I' が作中人物でありながら読者に話しかけていること。それから、'I' は作者ではないということだ。
 では、the author とは Calvino のことなのか。'I' はどうやらそう言いたげだが、そもそも 'I' を創造したのは作者の Calvino である。the author を登場させているのも Calvino だろう。つまり、この the author は、作者 Calvino が産みだした架空の Calvino ということになる。
 ……ううむ、ややっこしい! というわけでカタツムリ君なのですが、こういう〈叙述トリック〉が、本来それぞれ独立した存在である読者と作者と作中人物を一体化、とまで言えなくても、少なくとも同じ世界の存在たらしめようとするものであることは間違いないだろう。
 さらにまた、この叙述トリックにより、その三者があたかも共同でフィクションを創作しようとしているかのような錯覚を読者が覚えるかもしれない。そのあたりにトリックの意図があるのではないかと思われる。
 ……ふう、これだけまとめるのにも時間がかかりました。きょうはおしまい。