ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“If on a Winter's Night a Traveler” 雑感 (2)

 海外文学を読んでいると、時たま、ほんとにヘンテコな小説に出くわすものだが、本書も明らかにそのひとつだろう。いわゆるメタフィクションというやつですな。
 きのう引用した冒頭からして、これからはじまる小説を読もうとしている読者の話である。それがすでに「これからはじまる小説」の一部なのだから、話はややっこしい。
 このように小説の読者の立場を想定したくだりが、本書には12章あるようだ。ようだ、というのはまだ途中だからで、その立場がどこでどう変化するか知れたものではない。実際、読めば読むほどゴチャゴチャしてきて、ボケた頭にはかなりきつい。冒頭から、お、これは簡単そうだ、と思ったのはとんでもない間違いでした。
 さて、その読者編12章のあいだに、本書には、未完の短編というか中断したスケッチというか、とにかく小説の本体が10話ある(ようだ)。いや、本体ともいえないか。ともあれ、その断章(?)の第1話が表題作(?)なのである。始まりはこうだ。
The novel begins in a railway station, a locomotive huffs, steam from a piston covers the opening of the chapter, a cloud of smoke hides part of the first paragraph. In the odor of the station there is a passing whiff of station cafe odor. There is someone looking through the befogged glass, he opens the glass door of the bar, everything is misty, inside, too, as if seen by nearsighted eyes, or eyes irritated by coal dust. The pages of the book are clouded like the windows of an old train, the cloud of smoke rests on the sentences. (p.10)
 つまりここでは、「読む行為を書く行為と一致させ、現実とフィクションを混淆させようという試み」がなされているのである。これは何を意味しているのだろうか。いったい作者の意図は何なのか。この点についていろいろ考えながら読んでいます。