ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Alice Munro の “Dance of the Happy Shades” (4)

 さて、第14話 'The Peace of Utrecht' である。文字どおり珠玉の短編集といえる本書の中で、ぼくがいちばんノックアウトされた作品だ。「長らく母親の介護に当たってきた姉と、母の死後、久しぶりに帰郷した妹が再会する」というのが粗筋だが、ネタを割る心配のない箇所から引用しておこう。
 妹は、母親が闘病生活を送っていた部屋に入り、姉と2人で介護に当たっていた日々を思い出す。It might be that we had to perform some of the trivial and unpleasant services endlessly required, or that we had to supply five minutes' expediently cheerful conversation, so remorselessly casual that never for a moment was there a recognition of the real state of affairs, never a glint of pity to open the way for one of her long debiliatiing sieges of tears. But the pity denied, the tears might come anyway; so that we were defeated, we were forced―to stop that noise―into parodies of love. But we grew cunning, unfailing in cold solicitude; we took away from her our anger and impatience and disgust, took all emotion away from our dealings with her, as you might take away meat from a prisoner to weaken him, till he died. / (中略) .... she demanded our love in every way she knew, without shame or sense, as a child will. And how could we have loved her, I say desperately to myself, the resources we had were not enough, the demand on us was too great. Nor would it have changed anything. (pp.199-198)
 ぼくのように自分自身、いつ何どき介護される身になるかもしれない年齢に達すると、すでに両親や片親を亡くしたり、配偶者のほうもふくめ、さいわい生きている親のうち、誰かは療養生活を余儀なくされている、といった場合がほとんだ。百%かもしれない。
 そこでたまに友人と会うと、必ず介護の話になる。〈いづくも同じ秋の夕暮〉というやつで、べつに情報交換をしたからといって、それぞれの事情が好転するわけではないのだが、ああ、やっぱりそうなんだね、と言われると、つかのま、気が休まる。一方、「息つくひまもない」などという話を聞くと、わがことのように胸が痛む。
 そんな立場で上のくだりを読むと、当たり前の話だが、介護というのはきれいごとではすまされない、と思わずにはいられない。どこかで必ず親の、自分自身の聖人君子ならざる内面と向き合わざるをえないからだ。
 それからもちろん、介護を通じて愛情を確認することもある。上の妹にしても、母親を深く愛していたことはすぐに読み取れる。そんな人間の美醜両面を同時に描きだす Munro はやはり、「心地よく美しいものだけを見るのではなく、また不快で醜いものだけを見るのでもなく、人間の『複雑な心の動き、ありよう』のすべてをとことん見すえる観察眼」の持ち主なのである。
 その観察眼は「一面、冷徹なものである。が、深く鋭く真実をえぐり出すだけでなく、人間のありのままの姿を温かく見守るものでもある。人間とはなんとおもしろい生き物なのか。そう感動することが観察の原動力となっている」。……ほんとうはこの点を詳述したかったのだが、きょうだけでなく今週は疲労困憊。もうおしまいにしましょう。