まず冒頭から。
We know life is finite. Why should we believe death lasts forever?
*
The shadow of a bird moved across the hill; he could not see the bird.
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Certain thoughts comforted him:/ Desire permeates everything; nothing human can be cleansed of it. / We can only think about the unknown in terms of the known. / The speed of light cannot reference time./ The past exists as a present moment.(p.3)
以下もずっとこんな調子なので、うん、なんのこっちゃ?
と首をかしげつつ読み進み、というか、途中なんどか眠りこけそうになるのを我慢しながら読みつづけ、第一章がおわったところでギブアップ。カバーの折り返しに載っている紹介記事を一読し、ははあ、なるほど。
あらためて第一章の章題を見ると、'River Escaut, Cambrai, France, 1917'。
いつかも書いたけど、このタイトルだけで本文の内容がピンとくるひとは、英米の読者でも相当な歴史通だろう。で、いざ取りかかっても、「なんのこっちゃ?」と疑問の声が多数上がるのを見こして上の折り返しとなったのでは、というのがぼくの推測だ。
第二章 'River Esk, North Yorkshire, 1920' についても概要がしるされているが、こちらはたぶん参考にしなくても大丈夫。第一章より理解しやすいシチュエーションだからだ。
ともあれ、四苦八苦しながら読むほうが本書の醍醐味を味わえると思うので、ぼくは版元のように親切な案内は避けることにした。「第一次大戦から現代まで、およそ百年にわたって時間をさかのぼったり、くだったり、場所も英仏各地やエストニア、フィンランドなどを転々、語り手・視点もつぎつぎに変化しながら、各人物の目に映る光景、脳裡にうかぶ記憶や想念が、おおむね途切れ途切れに、あるかなきかのごとき脈絡で続出する。叙情的な散文詩と、観念的で晦渋な瞑想がないまぜになったような世界で、その文脈をたどることは容易ではない」。
どうしてこんな書きかたをするのか。「もはや語るべきことは語りつくされてしまった現在、あとは状況と語り口で攻めていくしかない」からだ。
では、ここで語られていることはなにか。「大略は、愛と死。戦争や過酷な国情のため生き別れ、死に別れた愛する家族への深く悲しい思いが随所に凝縮されている」。
つまり "Stone Yard Devotional"(2023 ☆☆☆★★)と同じく、ここでもおおかたの読者の共感を得られそうなテーマが提示されている。
なにしろ肉親の死、家族の死といえば、文学史をひもとけば、古典古代の昔から今日まで語り継がれてきた永遠のテーマのひとつである。ことに現代では、それが戦争やテロ、天変地異、凶悪犯罪、人種差別などに発する「巻きこまれ型」の事件として述べられることが多い。いまや毎日のようにそんなニュースに接するだけになおさら、いまのところ幸運なひとにとっても、あすはわが身と、おおいに共感を呼びそうなテーマだ。
しかしそれでも、本書の輪郭が見えてくるにつれ、えっとこれ、柳の下のいったい何匹目の泥鰌なんだい、と「語りつくされてしまった」感たっぷり。手の込んだ技巧にふりまわされた徒労感も手伝い、"Stone Yard Devotional" より辛めの採点になってしまった(☆☆☆★)。
というわけで、本書は家族との別れという永遠のテーマ、万人共通のテーマを扱った作品でありながら、ぼくはあまり共感をおぼえなかったのだけど、「読者によっては、自身、亡きひとを『抱きしめた』思い出がよみがえるかもしれない」とは思った。
しかしながら、そのよみがえった思い出が、前回ふれたような「たんなる共感の次元をはるかに超えた高みや深みへと読者を引き上げ、引きずりこむもの」かどうか。これはすこぶる疑わしいのでは。というところで、例によって中途半端なおわりかたですが、きょうはおしまい。(つづく)
(横浜のタワレコがまだHMVだったころ、ジャズコーナーで、「一生聴きます!」という店員のコメントが目につき、思わず買ってしまったのが下のCD。"Kind of Blue" も入っていてお買い得でした)