雑感で報告したとおり、第1話をはじめ、本書の「特徴としていえることはまず、喜怒哀楽がストレートではなく遠回しに表現されていること」だとしばらく思っていたが、そのあと読み進むにつれ、途中までぐっと抑えていた感情が一気に爆発する話も出てきた。これは一体どう説明すればいいのだろう。
そこでメモを読みかえし、時には本文も再読した結果、ようやく得た結論がレビューの書き出しである。「人の心は移ろいやすく、また心には自分でも正確には把握できぬほど同時にいろいろな思いが詰まっている。その複雑な心の動き、ありようの中で時々、いちばん奥底にある真情がかいま見える、あるいは噴きだしてくる瞬間がある。本書はその瞬間をみごとにとらえた短編集である」。
Alice Munro は、かみさんが見つけた新聞記事によると「現代のチェーホフ」と呼ばれているそうなのだが、短編の名手ならほかにも何人かそう賞賛されているかもしれない。チェーホフは大昔読んだきりだし、Richard Pevear と Larissa Volokhonsky 夫妻による英訳版 Chekhov 短編集も長らく積ん読中。それゆえ、チェーホフとの共通点を詳しく論じることはできない。
が、ウロ憶えながら、たとえば『かわいい女』などは、政治だの歴史だの、大きなテーマとはまったく関係がないにもかかわらず、日常的な観察を通じて人間の真の姿を描き出した結果、とても深みのある作品に仕上がっていたような気がする。その記憶が正しいとすれば、Munro はたしかに「現代のチェーホフ」と呼ばれて然るべき作家だと思う。
彼女はどのようにして人間の真情を、真の姿をとらえているのだろうか。彼女の描く人間の心が、姿がどうして真実だと思えるのか。この点についてもぼくは無い知恵をさんざん絞り、やっと自分なりの結論に達することができた。「それぞれの〈真実の瞬間〉とは、人物造形、人間観察、そして人間への関心と愛情のたまものなのである」。
その典型例が最後から2番めの物語 'The Peace of Utrecht' だと思うのだが、きょうはここまで書いただけで力尽きてしまった。