ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Death in Venice" 雑感(17)

 表題作と次の "Tonio Kroger" だけで16回も駄文を書き連ねてしまった。のこりの短編については駆け足ですませよう。ほんとうは、そんな不遜なことを言ってはいけない作品ぞろいなのだが、どれも初読のわりには、少なくとも "Tonio Kroger" の難所ほど頭を悩ませられることはなかった。
 3作目は "Mario and the Magician"。かなり有名な作品らしく、『新潮世界文学辞典』でも簡単に紹介されている。それをうっかり目にしたのが失敗で、「なるほど、だからここはこんな書き方をしているんだな」と、紹介の正しさを追認するだけになってしまった。なるべく予備知識がない、白紙の状態で小説を読むのが好きなぼくとしては、じつに残念な結果である。
 そういう人間が読書ブログを書いているのだから、なんだお前は、と言われそうだが、ぼくは半分以上、その本を理解するためにこんな駄文を綴っている。読むだけでなく、それについて書くことで少しずつ理解が進み、自分の感想も、心の中で思っている以上にはっきりしてくることが多い。
 独裁者の扇動と大衆ヒステリー、というのが "Mario ...." のテーマだろう。それを物語る秀逸な描写に満ちた名品である。が、ぼくはあの全体主義については、「扇動と大衆ヒステリー」だけでは説明できない重要な問題があるものと思っている。要するに文化の問題だが、いまここで詳述する時間はない。T・S・エリオットの『文化の定義のための覚書』と、ジョージ・スタイナーの『青髭の城にて』を読んだことのある人ならピンと来るはずだ、とだけ言っておこう。
 4作目は "Disorder and Early Sorrow"。第一次大戦後のドイツの混乱が端的に示されている。 "Mario ...." 同様、時代の精神状況をとらえた、いかにも国民作家 Thomas Mann らしい作品だ。
 5作目は "A Man and His Dog"。題名どおり、主人と愛犬の交流を描いたもの。ユーモラスなタッチで、おや、Thomas Mann はこんなに気軽に読める作品も書いていたのか、と驚いた。
 6作目は "The Blood of the Walsungs"。双子の兄妹、19歳の Siegmund と Sieglinde の危険な関係が描かれている。なんだかワーグナーの楽劇に出てきそうな名前だなと思ったら、2人は実際、『ワルキューレ』に歌手として登場。"Death in Venice" や "Tonio Kroger" にもワーグナーの話が出てきたが、Thomas Mann とワーグナーの関係については、どなたかドイツ文学の先生が研究しているのではないか。官能的な作品である。
 7作目は "Tristan"。サナトリウムが舞台で、"The Magic Mountain" を連想させるが、題名どおり『トリスタンとイゾルデ』の話が出てくる。楽劇と同じく愛と死がテーマだろう。それにしても、またまたワーグナー。 "Mario ...." で言及されていないのがフシギなくらいだ。
 掉尾を飾る "Felix Krull" は、雑感(1)に書いたように、のちの長編 "Confessions of Felix Krull" (http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080901/p1) の第1部に相当する作品。ということで、今回は再読しなかった。
(写真は宇和島城、一の門跡)。