ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Charlotte Brontë の “Jane Eyre”(4)

 チェスタトンの著作のうち、メモを取りながら文字どおり熟読玩味したのは『正統とは何か』だけだ。

正統とは何か

 学生時代、ある最後の授業のおわりに亡き恩師がこういった。「もし自殺したくなったら、死ぬ前に『正統とは何か』と『善悪の彼岸』を読め。それでも死にたかったら俺のところへ来い」
 原著 "Authodoxy"(1908)も持っているけれど、なにしろ訳者は福田恆存と安西徹雄のご両所だ(アップした本ではなく、ぼくの読んだチェスタトン著作集版では共訳になっている)。邦訳でじゅうぶんだろう。
 一方、『ヴィクトリア朝の英文学』をはじめ、あとの著作はすべて斜め読みか積ん読。これがいけなかった。若いころもっと勉強しておくべきだった、とこのほど痛感したが後悔先に立たず。年寄りにありがちな嘆きですな。
 シャーロット・ブロンテを論じたページだけパラパラめくってみても、前回引用した箇所以外にもいくつか気になるところがある。やはり古典を読む場合は、こんど調べたヴィクトリア朝のことのように、一定の基礎知識がぜったい必要なのではないか。アホ、おまえ、そんな常識さえ知らなかったのか、と上の恩師の呆れ顔が目に浮かんでくるようだ。
 いや知らなかったのではなく、ついよろず調べるのが億劫になりまして、はいぃ。
 ともあれ "Jane Eyre" は最適の古典入門書であり、あまり深く突っこまなくても、とりあえずメロドラマとしてそれなりに楽しめるし感動もできる。それが世界中の人びとから愛されている理由のひとつなのだろう。あ、またまた陳腐な指摘ですね。
 ところが意外にも深掘りできる作品である、というのが英語で読んでみてはじめて発見した「新事実」だ。たとえば終幕におけるジェインと牧師セント・ジョンの対決なんて、高校生のときは全然衝撃を受けなかった。Rochester はさすがに憶えていたけれど、St John? そんなやつ、いたっけ。
 年をとると妙なところに感心するのかもしれないが、ふたりの対決は本書でいちばん「知的昂奮を味わえる箇所」だと思う。しかし映像化しにくい場面でもあり、未確認だがフランコ・ゼッフィレリ監督作品『ジェイン・エア』ではカットされているかもしれない。(つづく)