ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Denis Johnson の “The Largesse of the Sea Maiden”(1)

 きのう、Denis Johnson の短編集 "The Largesse of the Sea Maiden"(2018)を読了。周知のとおり、これは今年の全米批評家協会賞(対象は2018年の作品)の最終候補作である。Denis Johnson は2017年に他界。この短編集は彼の遺作とのこと。謹んでご冥福をお祈りします。

The Largesse of the Sea Maiden

The Largesse of the Sea Maiden

 

[☆☆☆★] 全五編とも死の影が見える作品だが、やはり巻頭の表題作がいちばんいい。サンディエゴに住む初老の男が、ニューヨークの広告代理店で活躍した華やかな時代から、リゾートのパンフを制作しながら妻とふたり、ひっそりと暮らす現在までのエピソードをショートショート形式で回想。死期の迫った昔の女から突然電話、それがどの女か区別がつかなかったり、時には深夜、胸ふたぐ思いにバスローブ姿で家を飛びだしたりと、べつに深い意味はないが、男の人生を象徴する一瞬にユーモアと哀感がしみじみと込められた佳篇である。打って変わって第二話は饒舌体。アル中の更生施設に入所した男が家族や友人、さてはローマ法王、サタンにまで手紙を書くうち、死んで当たり前のような男の無軌道ぶりと不幸な家族の歴史が明らかになる。錯乱に近い文体で読ませる水準作。第三話では、語り手の男が若いころに刑務所で聞いた死の予言が的中。第四話でも、男の出会った友人がつぎつぎに死んでいく。どちらも悲哀に満ちているが、胸をえぐられるほどではない。最終話はプレスリーの生と死にまつわる奇談。ミステリアスな主筋より、9.11の際に語り手が遭遇した大混乱のほうがリアルでおもしろい。全篇を通じて、死とは悲惨なもの、という平凡な事実しか描かれていないのが不満。最初の二話にしても、煎じつめると、それぞれ死の受容と生への執着を物語っているだけで新味はない。ふたつの答え以外に死との向きあいかたはないのだろうか。

Lisa Halliday の “Asymmetry”(1)

 Lisa Halliday の "Asymmetry"(2018)を読了。周知のとおり、これは昨年のニューヨーク・タイムズ紙選ベスト5小説のひとつである。巻末の紹介によると、Lisa Halliday はマサチューセッツ州出身でミラノ在住の若手作家。本書は彼女の処女作とのこと。さっそくレビューを書いておこう。 (なお、以下のレビューは、2018年10月31日の記事「イラク戦争関連の小説」に転載しました)。

Asymmetry (English Edition)

Asymmetry (English Edition)

 

[☆☆☆★★] およそ人生は「非対称」の世界であり、ひらたくいえば、矛盾と混乱に充ち満ちている。そうした現実を端的かつ象徴的に描いたのがカミュカフカなどの不条理文学だが、本書は定番のテーマに斬新な手法で取り組んだ意欲作。その試みはかなり成功している。まず分量的にアンバランスな構成で、中編に近い章がふたつ続いたあと、最後に短い断章。第一章「愚行」では、高名な老作家と若い女性編集者が関係、ほとんど脈絡のないエピソードが連続するものの、ひるがえって、それこそ人生の現実なのだと実感させられる。テンポのいい会話が楽しい一方、死を予感した愛の叫びが泣ける。第二章「狂気」では、イラク出身の男が帰国途中、立ち寄ったヒースロー空港で拘束され、理不尽でこっけいなやりとりのさなか、いままでの人生を回想。その内省と思索は、混迷を深めるイラクの政治情勢や、矛盾を露呈したアメリカの国家エゴにもおよぶ。最終章では上の老作家が再登場、ノーベル賞受賞後のインタビュー番組でユーモアたっぷりに人生を総括。海の彼方の狂気はアメリカ国内にも波及しているが、いまこそ混乱に秩序をもたらそうとする愚行が必要なのだと訴える。それぞれ無関係に近い章の構成から、対照的な人物の配置、笑いと深刻さ、平和な市民生活と日常化した暴力という内容にいたるまで、どの細部にも「非対称」を意識した小説的工夫がほどこされ、まるで作品そのものが不条理を体現しているかのようだ。内容と形式の一致だけが本書で示された唯一の条理ともいえよう。佳篇である。が、なぜ人間は愚行をおかし狂気に走るのかという点になると、隔靴掻痒、これを読んでも答えは得られない。問題の核心に迫ろうとしないのは現代作家の通弊だろうか。

 

Leila Slimani の “The Perfect Nanny”(1)

 ゆうべ、Leila Slimani の "The Perfect Nanny" を読了。2016年のゴンクール賞受賞作、"Chanson douce" の英訳版である。巻頭の紹介によると、彼女はモロッコ出身の若手作家で、モロッコ人の女流作家が同賞を受賞したのは初めてのことらしい。この英訳版は昨年、ニューヨーク・タイムズ紙の年間ベスト5小説のひとつに選ばれている。さっそくレビューを書いておこう。 

PERFECT NANNY, THE

PERFECT NANNY, THE

 

[☆☆☆] パリのアパルトマンで、幼児と幼い少女が何者かに惨殺される。ショッキングな冒頭シーンに思わず引きこまれるが、犯人とおぼしい女ルイーズがすぐに登場。彼女は子どもたちの世話だけでなく、その多忙な両親の留守中、炊事・洗濯・掃除など家事全般をこなす申しぶんのない子守で、主婦と母親の役割を果たす家族の一員のような存在だった。そんなルイーズがなぜ凄惨な犯行におよんだのか。一家との交流と平行しながら、次第に彼女の過去が明らかにされる。不幸な家庭生活、借金苦、孤独。場面の切り替えが手ぎわよく、短いカットに心理が凝縮。ルイーズの異常な一面を示す微妙なヒントが少しずつちりばめられる。サイコパスである。が、犯行の引き金は不明という結末に不満がのこる。真相を藪のなかとする必然性がないからだ。ゆえに貧困や移民問題などを描いた印象的なエピソードにしても、読後にはインパクトが薄れてしまう。純文学としてもミステリとしても中途半端な読みものである。

Evelyn Waugh の “Sword of Honour”(1)

 きのう、Evelyn Waugh の "Sword of Honour"(1965)をやっと読了。周知のとおり、これは "Men at Arms"(1952)、"Officers and Gentlemen"(1955)、"Unconditional Surrender"(1961)を一冊にまとめた『名誉の剣』三部作である。
 合冊版を上梓する際、Waugh は若干の修正を行ない、a single story として読まれるように意図したむねを序文にしるしている。その意図に反し、あえて三作をそれぞれ単独の作品として評価すれば、第一部☆☆☆☆、第二部☆☆☆☆★、第三部☆☆☆☆★★となるが、これはむろん座興にすぎない。さっそくレビューを書いておこう。 

Modern Classics Sword of Honour (Penguin Modern Classics)

Modern Classics Sword of Honour (Penguin Modern Classics)

 

[☆☆☆☆★★] 一朝有事の際、ひとはいかに行動すべきか。非常に重大な問題だが、これを鬼才イーヴリン・ウォーはコメディの体裁を借りて提出。ほかに類例を見ない非凡な着想であるばかりか、奇をてらった戯れごとではなく、歴とした必然性にもとづくものである点に感嘆せざるをえない。この世は本質的に不条理であり、人間もまた不条理な存在であるかもしれぬ。それなら有事とは、世界と人間の本質が平時にもまして露呈する状況ではなかろうか。こうした世界観、人間観の根底には条理への強い希求がある。条理があることを望めば望むほど不条理が認識されるのだ。主人公は冴えない中年男、ガイ・クラウチバック。第二次大戦直前、祖国イギリスに迫る危機に際し、年齢を顧みず軍隊に志願、正規軍らしからぬ遊軍的な連隊に所属。第一部では、最前線から遠く離れた仏領アフリカで不本意な小競りあいに巻きこまれ、第二部では、元妻の不倫相手ひきいるコマンド部隊の一員としてクレタ島に上陸するも撤退を余儀なくされる。第三部では、連絡将校としてユーゴスラヴィアに派遣されるものの、パルティザンの打算的な動きに翻弄され、ユダヤ人難民の女性を救えなかったことに失望する。以上の主筋と平行して、ガイの元妻ヴァージニアをめぐる恋愛沙汰が抱腹絶倒もののコミックリリーフとなるが、彼女も戦争という極限状況におかれ、本性を発揮している点ではガイと等しい。異なるのは、ガイが正義を気にかけ、いわば「名誉の剣」を手に十字軍の騎士たらんとしたことだ。その試みはコミカルに挫折する。そもそも時代が、世界が不条理なのだ。国教会の首長たる英国王が無神論者の街スターリングラードに「名誉の剣」を贈呈し、それを多くの英国民すなわち信徒が祝福するとは、まさに不条理そのものである。それはまた、およそ世界のだれもが殺しあい、なんらかのかたちで戦争に参加することによって個人的な名誉心を満たそうとする不条理でもある。ガイは、さほど敬虔ではないにしろカトリック信者。危機に臨み、神の定めのなかで、小さくともおのれにしか為しえぬ務めを果たさなければと考える。しかしその個人的な努力は実を結ばない。彼の「名誉の剣」は折れ、求めた名誉も虚妄にすぎなかった。けれども、彼が理想主義者たらんとしたことは疑いようがない。そして「条理があることを望めば望むほど不条理が認識される」。本書はかくのごとき不条理を描いた、いわば〈シリアスなコメディ〉として世界文学史上にのこる傑作である。それだけではない。「一朝有事の際、ひとはいかに行動すべきか」と、永遠の課題をいまなお読者に突きつけてくる傑作なのである。

"Sword of Honour" 雑感(4)

 なんとか体調が回復してきたようだ。気になるのは血圧だが、数値さえよければ、あしたからまたジムに通おうと思っている。(brownsuga さん、お気遣いのコメント、ありがとうございます)。
 "Sword of Honour" のほうも、元の第三巻 "Unconditional Surrender" に該当する章に入り、徐々にペースアップ。相当に面白い。☆☆☆☆は確実で、★を追加したくなる要素もちらついている。
 面白さの大半はコメディーとしてのものだが、それよりまず、本書のタイトル "Sword of Honour" について。いままであれこれ由来を推測してきたが、ずばり明示されている箇所が出てきた(pp.456-457)。
 後注によると、1943年2月、英国王ジョージ6世はソ連赤軍創設25周年を記念して、当時、攻防戦の最終局面にあったスターリングラード市に a Sword of Honour を贈呈することを決定。その剣が同年10月、贈呈前にロンドン市内で展示され、会場前にできた長蛇の列を横目に主人公 Guy Crouchback がまったく無関心に通りすぎる。この描写は Evelyn Waugh のある考え方を示しているように思われる。つまり、いままでの推測箇所とあわせると、honour とは虚妄にすぎないのではないかという疑念だ。
 ひょっとしてこれ、本書のテーマと関係があるのかも、という気がしてきた。それも★の要素なのだけど、ホンマかいな。たぶん結末が決め手だろう。
 コメディー部分では何度かゲラゲラ笑ってしまった。ヘンテコな人物が登場するだけでなく、とにかく状況そのものがケッサクで、つなぎ合わせると sitcom と言ってもいい。
 第一部で Guy が元妻の不倫相手と一杯やる話はすでに紹介したとおり。前回書き洩らしたが、第二部では Guy がクレタ島に上陸したとき、所属するコマンド部隊の隊長がなんとその不倫相手ときた。そんな設定で始まりながら、降伏後の将校にとって「名誉ある道」とはいかなるものか、というシリアスな問題に発展するのだから、Waugh の着想のユニークさはハンパねぇって。
 さて第三部。元妻 Virginia はその後、不倫相手とはまたべつの男と結婚したものの、その夫とも離婚寸前に浮気。新しい間男の子供を宿し中絶を決意する。が、戦時下のロンドンではなかなか適当な医師が見つからない。紹介された医師にあっさり断られたあとの場面がこうだ。She dreamed she was extended on a table, pinioned, headless and covered with blood-streaked feathers, while a voice within her, from the womb itself, kept repeating: 'You, you, you.'(p.516)この 'You, you, you.' とは、上の間男が、イヤがる Virginia に迫ってきたときのセリフである。
 Guy のほうは、クレタ島からイギリスに帰国後、新たな作戦にそなえて訓練中に負傷、叔父 Peregrine の家で療養している。そこへ突然、Virginia が押しかけてくる。彼女の下心は読者にも見え見えだ。'Virginia?' 'So she claims.' 'Good. Send her in.' 'You wish to see her?' 'Very much.' 'If there's any trouble, ring. Mrs Corner (the servant) is out, but I shall hear you.' 'What sort of trouble, Uncle Peregrine?' 'Any sort of trouble. You know what women are.' 'Do you, Uncle Peregrine?' He considered this for a moment and then conceded: 'Well, no. Perhaps I don't.'(p.559)
 まさに爆笑ものですな。こんなに笑わされたのは久しぶりだ。上質なユーモアは、古き佳きイギリス小説の醍醐味のひとつである。それにくらべ、最近のブッカー賞がらみの作品なんて、大半が話芸という意味ではほんとに芸がない。
 ともあれ上の最後のくだりだが、ぼく自身、もしこんな質問を受けたら、やっぱり Perhaps I don't. と答えるだろうな。
(写真は、愛媛県宇和島市にある、弘法大師ゆかりの馬目木(まめぎ)大師堂。去年の秋、帰省中に撮影。近所の貧乏長屋に住んでいた子供時代は、こんなお堂にはまったく関心がなかった)

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"Sword of Honour" 雑感(3)

 風邪が治ったのか治らないのか、どうも体調がすっきりせず、しばらく読書から遠ざかっていた。いまも喉がいがらっぽい。が、それでもきょうはリハビリがてら、久しぶりに本書に取り組み、なんとか第二部 "Officers and Gentlemen" を読みおえた。第一部の場合と同様、あえて単独の作品として採点すれば、☆☆☆☆★。大変な問題作だと思う。
 が、その根拠を詳述するのは、ちとしんどい。じっくり考えないといけない問題をはらんでいるのに、ふだんにも増して頭が働かない。とりあえず、本題に関係のなさそうな話から始めよう。
 きょう本書を読みながら聞き流していたのはジャズとシューベルト。どこでどう両者がつながるのか、ぼく自身にもさっぱり分からない。ともかく、まずアレックス・リール・トリオをかけると軽快なスイングに気分がよくなり、よし、きょうは本を読もうと思った。
 舞台はクレタ島Wiki によると実際、1941年5月に「クレタ島の戦い」というのがあり、相当な激戦だったようだ。が、本の世界では途中までさほどでもない。ドイツ軍による空襲や砲撃シーンもあるものの、主人公 Guy Crouchback をはじめ、将校や兵士たちの会話がユーモラスで、Guy の上官にいたっては、ニュージーランド軍の旅団長ともども島内を車で移動中、しゃっくりが止まらなくなり注意を受ける始末。ヘンテコな人物がぞろぞろ出てきた第一部のコメディー色がかなり残っている。
 やがてビージー・アデールを何枚か聴きはじめる。「I'll Take Romance」の紹介文を読むと、このアルバムの演奏、なんと9.11の大混乱のさなかに収録されたのだそうだ。が、そうと知っても「音楽の力」で危機を乗りこえようという意図を、この〈サロン・ジャズ〉から聴き取るのはむずかしい。
 クレタ島ではドイツ軍の攻撃が激しさを増し、イギリス軍は敗色濃厚。情報が錯綜し、不可解な戦術を強いられ、Guy は「剣を失った十字軍時代の騎士のような気分」。ところが、そのまま悲惨な状況が描かれるのかと思いきや、舞台はロンドンに一転、Guy の元妻をめぐる、こっけいな恋愛沙汰が始まる。戦場とのコントラストが鮮やかだ。
 ここで、どういうわけか「ます」を聴きたくなった。シューベルトはいつもそうだが、胸をえぐられるフレーズが必ずある。とりわけ、ウィーン・コンツェルトハウスQ盤。あのときの、あのことが次々に脳裏をかすめる。ついでに「死と乙女」も何枚も聴いてしまった。
 そのうち、いよいよ「じっくり考えないといけない問題」。大打撃を受け、いわば「剣を失った」状態のイギリス軍は降伏を余儀なくされ、クレタ島から撤退を開始。このとき、後注によると約5千人の兵士が島に取り残されたそうだ。さて、統率の責任者たる将校は部下とともに残留すべきか、それとも救助艦に乗るべきか。Guy は「名誉ある道」について同僚の将校と議論をかわす。第二部のタイトル "Officers and Gentlemen" の由来であり、ひいては "Sword of Honour" という三部作全体のタイトルともかかわっている。実際は「剣なき名誉」なのだけれど。
 シューベルトばかり聴いていると気が重くなり、急遽、山中千尋の「Forever Begins」に切り替えた。一曲目は彼女オリジナルの「So Long」。この出だしを聴いて心が浮き浮きしない人がいるとは、ぼくにはちょっと想像できない。 

Forever Begins

Forever Begins

 

  Guy は結局、救助艦に乗り込み、命からがらアレキサンドリアに帰還する。折しもドイツ軍はソ連に侵入。独ソ不可侵条約が締結された当時は「敵がはっきり見えていた」のに、いまや反共主義者にとって真の敵はドイツなのかソ連なのか。Guy は「昔ながらの曖昧な世界」へと舞い戻り、his country was led blundering into dishonour ということになる(p.440)。これを Evelyn Waugh は「善悪の問題」と表現しているが(p.441)、彼は反共主義者として有名だったらしい。
 この記事を書いているとき、シューベルト交響曲全集を聴いていた。アーノンクール盤だが、「胸をえぐられるフレーズ」があったかどうか、初期の曲では不明。上にしるした「名誉ある道」や善悪の問題も大ざっぱな紹介で、核心はどうも見えない。明日から第三部を読みながら、ボチボチ考えてみることにしよう。

(追記:遅くなりましたが、前回の記事にスターを付けてくださった brownsuga さん、どうもありがとうございます)。 

Susan Minot の “Evening”

 先週末までずっと寝込んでいた。インフルエンザではなかったが高熱が続き、これを書いている今もまだ微熱がある。亡父もやはりこの時期に風邪をこじらせ、二月になって最初の脳梗塞を起こしたことが思い出され、少し不安だ。
 寝床で本を読むのは疲れるものだ。とくに洋書の場合、ぼくはメモを取りながら読むことにしているので無理。今回もあきらめ、ちょっと気分がいいときに『一瞬の風になれ』を読んでいた。とても面白く、疲れたが完読してしまった。現代風にアレンジしたスポ根青春小説といったところか。
 おととい寝床を離れたものの、メモを取る気力はなかった。終日ジャズを聴きながら、『夜は短し歩けよ乙女』をパラパラ。断片をまとめたような構成なので、途切れ途切れに読むのにちょうどいい。
 きのうは少しだけ "Sword of Honour" を読んだ。文脈を思い出したところでダウン。前回の記事にも ebikazuki さんからスターを頂戴したのに、ほんとに申し訳ない。早く風邪が治るといいのだけれど。
 というわけで、きょうは本ブログでは未公開(確認済み)の昔のレビューでお茶を濁すことにした。原書はもう処分してしまったが、Wiki によると1998年の作品である。 

Evening (Vintage Contemporaries)

Evening (Vintage Contemporaries)

 

[☆☆☆★] 正確には星3つだが、作者の力わざに敬意を表して少しおまけ。力わざとは、月なみな物語を読みごたえのある作品に仕上げた手練手管、創意工夫をいう。主人公は死の床にある老婦人。その脳裡に去来するのは、娘時代に男と出会って恋をしたときの、たった数日間の思い出……。老練な読者ならずとも、途中の展開も結末もおおよそ察しのつく話だ。けれどもマイノットは、過去と現在、夢と現実を交錯させながら描くという定番の手法にくわえ、老婦人の混濁した意識を反映させるためだろう、フォークナーばりの「意識の流れ」の技法をも採用。そのくだりではむろん物語の進行速度が鈍るものの、小刻みな場面転換によって緩急の妙が生まれ、ついページをめくってしまう。一期一会にして永遠の恋人というテーマは、書きようによっては平凡なロマンスになってしまうものだが、工夫次第でまだまだ読者の感動を呼ぶという好例である。