ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Sword of Honour" 雑感(3)

 風邪が治ったのか治らないのか、どうも体調がすっきりせず、しばらく読書から遠ざかっていた。いまも喉がいがらっぽい。が、それでもきょうはリハビリがてら、久しぶりに本書に取り組み、なんとか第二部 "Officers and Gentlemen" を読みおえた。第一部の場合と同様、あえて単独の作品として採点すれば、☆☆☆☆★。大変な問題作だと思う。
 が、その根拠を詳述するのは、ちとしんどい。じっくり考えないといけない問題をはらんでいるのに、ふだんにも増して頭が働かない。とりあえず、本題に関係のなさそうな話から始めよう。
 きょう本書を読みながら聞き流していたのはジャズとシューベルト。どこでどう両者がつながるのか、ぼく自身にもさっぱり分からない。ともかく、まずアレックス・リール・トリオをかけると軽快なスイングに気分がよくなり、よし、きょうは本を読もうと思った。
 舞台はクレタ島Wiki によると実際、1941年5月に「クレタ島の戦い」というのがあり、相当な激戦だったようだ。が、本の世界では途中までさほどでもない。ドイツ軍による空襲や砲撃シーンもあるものの、主人公 Guy Crouchback をはじめ、将校や兵士たちの会話がユーモラスで、Guy の上官にいたっては、ニュージーランド軍の旅団長ともども島内を車で移動中、しゃっくりが止まらなくなり注意を受ける始末。ヘンテコな人物がぞろぞろ出てきた第一部のコメディー色がかなり残っている。
 やがてビージー・アデールを何枚か聴きはじめる。「I'll Take Romance」の紹介文を読むと、このアルバムの演奏、なんと9.11の大混乱のさなかに収録されたのだそうだ。が、そうと知っても「音楽の力」で危機を乗りこえようという意図を、この〈サロン・ジャズ〉から聴き取るのはむずかしい。
 クレタ島ではドイツ軍の攻撃が激しさを増し、イギリス軍は敗色濃厚。情報が錯綜し、不可解な戦術を強いられ、Guy は「剣を失った十字軍時代の騎士のような気分」。ところが、そのまま悲惨な状況が描かれるのかと思いきや、舞台はロンドンに一転、Guy の元妻をめぐる、こっけいな恋愛沙汰が始まる。戦場とのコントラストが鮮やかだ。
 ここで、どういうわけか「ます」を聴きたくなった。シューベルトはいつもそうだが、胸をえぐられるフレーズが必ずある。とりわけ、ウィーン・コンツェルトハウスQ盤。あのときの、あのことが次々に脳裏をかすめる。ついでに「死と乙女」も何枚も聴いてしまった。
 そのうち、いよいよ「じっくり考えないといけない問題」。大打撃を受け、いわば「剣を失った」状態のイギリス軍は降伏を余儀なくされ、クレタ島から撤退を開始。このとき、後注によると約5千人の兵士が島に取り残されたそうだ。さて、統率の責任者たる将校は部下とともに残留すべきか、それとも救助艦に乗るべきか。Guy は「名誉ある道」について同僚の将校と議論をかわす。第二部のタイトル "Officers and Gentlemen" の由来であり、ひいては "Sword of Honour" という三部作全体のタイトルともかかわっている。実際は「剣なき名誉」なのだけれど。
 シューベルトばかり聴いていると気が重くなり、急遽、山中千尋の「Forever Begins」に切り替えた。一曲目は彼女オリジナルの「So Long」。この出だしを聴いて心が浮き浮きしない人がいるとは、ぼくにはちょっと想像できない。 

Forever Begins

Forever Begins

 

  Guy は結局、救助艦に乗り込み、命からがらアレキサンドリアに帰還する。折しもドイツ軍はソ連に侵入。独ソ不可侵条約が締結された当時は「敵がはっきり見えていた」のに、いまや反共主義者にとって真の敵はドイツなのかソ連なのか。Guy は「昔ながらの曖昧な世界」へと舞い戻り、his country was led blundering into dishonour ということになる(p.440)。これを Evelyn Waugh は「善悪の問題」と表現しているが(p.441)、彼は反共主義者として有名だったらしい。
 この記事を書いているとき、シューベルト交響曲全集を聴いていた。アーノンクール盤だが、「胸をえぐられるフレーズ」があったかどうか、初期の曲では不明。上にしるした「名誉ある道」や善悪の問題も大ざっぱな紹介で、核心はどうも見えない。明日から第三部を読みながら、ボチボチ考えてみることにしよう。

(追記:遅くなりましたが、前回の記事にスターを付けてくださった brownsuga さん、どうもありがとうございます)。