ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Joseph Boyden の “The Orenda”(1)

 ゆうべ、2013年のギラー賞一次候補作、Joseph Boyden の "The Orenda" を読了。Shadow Giller Prize という現地カナダのファン投票では1位を獲得した作品である。さっそくレビューを書いておこう。 

The Orenda

The Orenda

  • 作者:Boyden, Joseph
  • 発売日: 2014/04/03
  • メディア: ペーパーバック
 

[☆☆☆★★★] 途中から(史実を知らなくても)予想はつくものの、終幕の戦闘シーンが圧巻。読んでいて息苦しくなる。カナダの先住民ヒューロン族が立てこもるイエズス会の伝道所に、イロコイ族の戦士たちが大挙して襲いかかってきたのだ。1649年に実際に起こった事件だが、この山場もふくめて本書はじつにオーソドックスな歴史小説アメリカ西部劇のカナダ版である。ヒューロン族の戦士とイロコイ族の娘、フランス人宣教師の三人が交代で話者となり、残虐な部族抗争と日々の農村生活、「悪魔に支配された」先住民への布教活動がことこまかに綴られていく。戦士同士の友情や、捕虜となったイロコイ族の娘がしだいに新しい家族の一員として溶けこむところなど、定石どおりだが読ませる。宣教師が先住民のアニミズムを否定し、白人が疫病を蔓延させたことも認めず、神による魂の救済を説く一方、先住民のほうは土俗的な風習を墨守。異文化の衝突というカナダ建国の歴史がありのままに伝わってくる。上の大事件も、思わず目をそむけたくなるような拷問も、いわば「産みの苦しみ」のひとつであり、過去と未来はつねに存在し、両者をつなぐ重要な役割を果たすものが現在であるとのメッセージには、カナダだけでなく、あらゆる国の国民文学としてじゅうぶん説得力がある。

"The Orenda" 雑感

 寝床のなかで読んでいる『蜜蜂と遠雷』はあと少し。世評どおりとても面白い。相変わらず恩田陸の筆力、表現力に圧倒されている。が、ちょっと引っかかる箇所があった。
 まず、「ファンタジック」という言葉(文庫版・上 p.377)。これが fantastic の誤用であることは昔から有名な話だが、いまや日本語に定着した和製英語としてここでは使われているのかもしれない。
 しかしぼく自身は使用しないようにしている。学生時代、この言葉をなにげなく口走ったところ、亡き恩師が眉をひそめられたことを、いまだにありありと思い出すからだ。
 つぎに気になったのが、「後世に書き加えられたり訂正されたかもしれない」(同・下 p.174)。もしぼくが編集者だったら、「先生、ここは『加筆されたり訂正されたりした』ではいかがでしょうか」とお伺いを立てるところ。「たり」の反復省略もおそらく慣用表現として認められるのだろうが、翻訳の場合はどうでしょうか。
 こらっ、ひとの「重スミ」をつつくな! それより、お前の下手くそな文章をどうにかしろ! と座布団が飛んできそうなので閑話休題。表題作に移ろう。2013年のギラー賞一次候補作である。
 orenda とはカナダ先住民の言葉で、本書の主要な人物のひとり、フランス人宣教師の Christophe によれば意味はこうだ。In matters of the spirit, these sauvages believe that we all have within us a life force that is similar, if you will, to our own Catholic belief in the soul. They call this life force the orenda.(p.31)
 sauvages はミスタイプではない。たぶんフランス語だろう。Christophe は続けていう。What appals me is that these poor misguided beings believe not just humans have an orenda but also animals, trees, bodies of water, even rocks strewn on the ground. In fact, every last thing in their world contains its own spirit.(p.p.31-32)
 つまりアニミズムである。これを知って appal(appall)させられるところが、いかにも17世紀の白人らしい。ぼくはうっかり appeal と勘違いしそうだった。田舎育ちのぼくには、アニミズムにさほど違和感はないからだ。
 このアニミズムを信仰する先住民が「野蛮人」であり、彼らはサタンに支配され、いまだ暗黒時代に生きている。これをキリスト教に改宗させること、というのが Christophe に課せられた使命である。それがじつは植民地支配の一環だったという説明もあるものの、彼自身は純粋に使命感にかられている。そこで面白いのはこんなくだり。The great wampum we call the Bible speaks of plagues descending on faraway lands where the people refuse to accept the Great Voice.(p.214)
 一方、先住民の立場はこうだ。Most of the village believes it's not simple coincidence that since your arrival we've suffered both sickness and drought.(ibid.)
 この時代のカナダが舞台の小説を読むのは初めてだが、どれもさもありなん、という状況ばかりで、その意味では決して目新しくはない。と同時に、上の引用からだけでも、きわめてオーソドックスな展開であることがうかがえるものと思う。
 実際、物語はいかにもオーソドックスな歴史小説らしく進んでいる。予想どおり、先住民同士の大戦争が起こりそうだ。

(下は、『蜜蜂と遠雷』に出てきた一曲。こんなむずかしい曲からショートショートのような物語を紡ぎだすとは、まったく驚くばかりです) 

リスト:ピアノ・ソナタ

リスト:ピアノ・ソナタ

 

 

Charles Yu の “Interior Chinatown”(2)

 きょうは仕事始め、ならぬ読書始め。ほんとうはぜひ、若いころ途中まで読んだ George Orwell の "Homage to Catalonia" を、と思っていたのだけど、年末にちょっとかじった Joseph Boyden の "The Orenda"(2013)が気になり、ボチボチまた読みはじめたところ、わりと面白い。同年のギラー賞一次候補作で、ファン投票では Shadow Giller Prize を獲得した作品である。
 舞台は1640年代のカナダ。ヒューロン湖にその名をのこすヒューロン族と、オンタリオ湖の南岸に住んでいたイロコイ族の抗争、ビーバー戦争がどうやら扱われているようだ。どうやら、というのは、まだまだ前哨戦のような感じで、本格的な戦争に発展するかどうかは不明。ただ、大作なのでその可能性大といったところ。
 読書始めと書いたが、三が日も寝床のなかでは『蜜蜂と遠雷』を読んでいた。つい夜更かししそうになるほど面白い。各ピアニストの演奏場面の描写に舌を巻いている。恩田陸はふだんからよほど各曲を聴きこんでいたのか、相当に下調べをしたのか、とにかく音楽を文字で表現することの困難をみごとに克服。さすがですな。
 それにひきかえ、"The Orenda" のほうはまだ序盤のせいか、面白いといっても、ときどき眠りこけてしまうことがある。表題作の "Interior Chinatown" となると、じつはもっと眠かった。
 ただし文学性という点では、同じ全米図書賞受賞作でも、一昨年の "Trust Exercise"(☆☆★★★)よりずっと高く評価すべき作品である(☆☆☆★★★)。同書はメタフィクションのためのメタフィクションという技巧が鼻につき、内容そのものはお粗末。ケンカ中の夫婦、別れた男女、どちらの言い分が正しいか、という次元とたいして変わらないような気がした。それを技巧でカバーしている点が鼻につくわけだ。
 これにたいし、"Interior Chinatown" の場合、「メタフィクションは必然的に最適の技法である」。この点についてはレビューで明らかにしたつもりだ。
 すこし補足すれば、アメリカで Asian といえば、白人にとっても黒人にとっても本音のところでは、いまだにチャーリー・チャンなんだろうな、という思いを強くした。チャーリー・チャンとは、Wiki によれば、「1925年にアール・デア・ビガーズの推理小説シリーズで創られた架空の刑事。ハワイのホノルル警察に勤める中国系アメリカ人」である。画像を見れば、ああ、なるほど、と納得できるだろう。あれこそ Asian のステロタイプであり、そのことを表現するのにメタフィクションはおあつらえ向き、という判断があったのではないか。
 心にのこった文言がひとつある。.... fulfilling his destiny ....(p.253)
「中国系移民はついにステロタイプのまま、アメリカ社会から与えられた型どおりの役を演じつづけるしかない」というテーマに直結したものだが、ぼくは福田恆存のこんな言葉を思い出した。「みなさんが愛するのは、苦しんでも失敗してもいいから、いかにも自分の宿命を生ききったという感じを与える生きかたでありましょう。(中略)みなさんが欲しているのは、自由に生きて、しかもそれが行きづまることです。自分のやりたいことをやって、もうこれ以上は自分の力に負えぬという限界にぶつかることです。(中略)私たちの欲しているのは、いわゆる幸福で不自由のない生活ではなく、不幸でも、悲しくも、とにかく顧みて悔いのない生涯ということでありましょう」。
『私の幸福論』の一節だが、ぼくはこれを近ごろやっと、ちょっぴり実感できるようになってきた。
 
(下は、この記事を書きながら聴いていたCDの1枚) 

Concerts avec plusieurs instruments Vol 4

Concerts avec plusieurs instruments Vol 4

  • 発売日: 2009/03/10
  • メディア: CD
 

 

2020年ぼくのベスト3小説

 と題したものの、今年も読書量はお寒いかぎり。とてもベスト3など選べたものではない。このぶんでは、寝床のなかで追いかけている日本文学と同様、10冊未満のなかからマイベスト選出という笑い話のような年も、そう遠くはなさそうだ。
 それどころか、今年刊行された新作に絞ると、もうその笑い話が現実のものになっている。これではせいぜいベストワンを選ぶしかあるまい。
 旧作中心の読書になってしまったのには、いちおう理由がある。いつかも書いたように、コロナの時代の年金生活者にとっては、「読まずに死ねるか」と思える作品を、なるべく安上がりに読むのが上策だろう。
 そこでいきおい、定評のある旧作、名作傑作、古典のたぐいをペイパーバックで読むことになる。ビートルズの名曲をもじれば、ペイパーバック・リーダー!というわけだ。
 実際今年、ハードカバーで読んだ新作は2冊だけ。Hilary Mantel の "The Mirror & The Light"(☆☆☆★★)と、Douglas Stuart の "Shuggie Bain"(☆☆☆★★★)である。どちらもブッカー賞関連ということで、やむなく買い求めた。ほかにも英米の主な文学賞の受賞作や候補作を(むろんペイパーバックで)読んでみたが、"Shuggie Bain" は新作のなかではベストワンだと思う。
 新作といっても原書の刊行年は今年以前のものもあり、そのため新型コロナというパンドラの箱にかかわる作品は、当然のことながら1冊もない。事実は小説よりも奇なり、文学はまだ現実をカバーしきれていないわけだ。現実に追いつくのはワクチンの普及と同じく、来年以降になるのだろうか。
 地域に限定すれば、現実と並行しているような作品もある。ピューリツァー賞と全米図書賞の受賞作は、それぞれ黒人差別と中国系移民を扱ったもの。分断の時代とやらを反映した結果かもしれない。
 一方、旧作に目を転じれば、時代の推移にかかわらず人間の本質を洞察しているがゆえに、今日の状況にも十分当てはまるものがある。だからこそ名作古典たりうるわけだ。新型コロナ以前から、パンドラの箱はとうの昔に開けられていたのであり、混乱が急速に拡大し、混沌という人間の本質がますます顕在化しているのが現代世界ともいえるだろう。こうした現実を先取りしているかのような作品が、Loius-Ferdinand Céline の "Journey to the End of the Night"(1932 ☆☆☆☆★★)である。 

 それゆえ、これがぼくのほんとうのベストワン。ついで、Peter Carey の "Oscar and Lucinda"(1988 ☆☆☆☆★)。 

 そして、David Mitchell の "Number9Dream"(2001 ☆☆☆☆)がとても面白かった。物語の面白さという点では、これがベストかもしれない。 

 来年もみなさまに少しでも追いつくよう、旧作中心の読書になると思います。どうぞよいお年を。

(下は、このところ聴き直しているフルトヴェングラー「第九」CDのひとつ。ほんとうは Mythos 盤が最高だと思うのだが、なぜかアップできないので)  

 

Charles Yu の “Interior Chinatown”(1)

 きのう今年の全米図書賞受賞作、Charles Yu の "Interior Chinatown"(2020)を読了。さっそくレビューを書いておこう。 

Interior Chinatown: WINNER OF THE NATIONAL BOOK AWARDS 2020

Interior Chinatown: WINNER OF THE NATIONAL BOOK AWARDS 2020

  • 作者:Yu, Charles
  • 発売日: 2020/11/05
  • メディア: ペーパーバック
 

[☆☆☆★★★] アメリカにおける移民の歴史と現状といえば、文学の題材としてはかなり古いが、中国系移民を本格的に扱った小説はそれほど多くないかもしれない。本書の場合、その希少性にとどまらず、メタフィクションの技法を駆使することで、通常のフィクションよりも明らかに的確かつ効果的に問題の本質をえぐり出した、ほかに類を見ない独創的な作品である。舞台はアメリカのチャイナタウン。中華料理店にセットされたTV刑事ドラマ『ブラック&ホワイト』の脚本に混入しながら、若き俳優ウィリス・ウーとその家族の直面した現実が描かれる。ドラマは題名が示すようにアメリカ社会の象徴であり、ドラマのなかで起こる事件は中国系移民の社会的立場を反映している。ウーによれば、彼らは二百年の移民の歴史を有しながら、ヨーロッパ系移民とは異なり、昔も今もアメリカ人として認識されず、アジア人という総称のもと、十把一絡げに扱われているという。ウーはその総称を体現するエキストラから出発、カンフーの達人として主役を張ることを夢見るものの、悲しいかなカンフー達人もまた、白人にとってはアジア人の総称のひとつにすぎないことを知る。かくて中国系移民はついにステロタイプのまま、アメリカ社会から与えられた型どおりの役を演じつづけるしかない。この社会的役割意識がすなわち「内なるチャイナタウン」なのである。それゆえウーにとって現実と演技の区別がつかなくなるのは理の当然、これを表現するうえでメタフィクションは必然的に最適の技法である。ドラマの脚本形式だけにユーモア全開とはいえないものの、当初からコミカルな逸話がちりばめられ、終幕の裁判劇は『不思議の国のアリス』を思わせる、風刺のきいた不条理劇。これはまさに移民の歴史と文化が生みだした悲喜劇、そしてメタフィクションである。

Marieke Lucas Rijneveld の “The Discomfort of Evening”(2)

 このところ家の掃除で大忙し。かなり疲れるが、それでもあちこち動きまわれるのは、たぶんコロナにかかっていない証しだろうと思うとひと安心。2番目の孫ユマちゃんの初宮参りで鶴岡八幡宮に出かけたのが、ちょうど2週間前だからだ。
 掃除がひと区切りついてから読んでいるのが、今年の全米図書賞受賞作、Charles Yu の "Interior Chinatown"。わりと面白い。いまのところ、☆☆☆★★(★)くらいか。たまたま先月読んだ去年の受賞作、Susan Choi の "Trust Exercise"(☆☆★★★)よりずっといい。どちらもメタフィクションの技法を駆使した作品だが、"Chinatown" の場合は、その使いかたに明確な意味と必然性がある。それを説明すると長くなりそうなのできょうは省略するけれど、とにかく今後の展開次第では、ほんとうに★をひとつ追加することになりそうだ。
 閑話休題。今年のブッカー国際賞の最終候補作に Yoko Ogawa の "The Memory of Police"(『密やかな結晶』)が選ばれていたことは、恥ずかしながらしばらく知らなかった。今年から、同賞は受賞作のみ追いかけることにしたからだ。
 いま書棚を調べると、小川洋子の作品は既読4冊、未読4冊。『密やかな結晶』は所持していなかった。これまでいちばん印象にのこっているのは、ご存じ『博士の愛した数式』だが、『妊娠カレンダー』もけっこう面白かったおぼえがある。 

妊娠カレンダー (文春文庫)

妊娠カレンダー (文春文庫)

 

  そんな記憶だけで言うのもなんだが、受賞した "The Discomfort of Evening"、ほんとうに "The Memory of Police" よりすぐれた作品なのだろうか。
 むろん美点はある。ぼくがいちばん評価するのは、ヒロインである10歳の少女 Jas の心の動きを、美醜両面からとらえていること。性善説に発するのかなにか知らないけど、子どもを純真な存在としてのみ描く作家は二流三流である。ところが、Jas はこう述懐している。I've got two sides too ― I'm both Hitler and a Jew, good and evil.(p.257)彼女がどこまで Hitler and a Jew のことを理解しているかはさておき、「心に善悪両面があることを自覚し」ているのは明らかだ。
 ただ、いかんせん繰りかえしが多すぎる。「子どもらしい残酷さ、怒り、自己中」などとぼくがメモしたくだりは計6ヵ所。最初のうちこそ、これはイケると思ったものの、いちばん上の兄を亡くした心の痛みや、悲嘆にくれる両親への気づかいともども、二巡したところで飽きてしまった。経過報告にも書いたが、これ、短編ネタですな。結末が結末だけに、短編だったら最低でも☆☆☆★★★だったでしょう。 

ミステリ俳句

 きのう、寝床のなかで『蜜蜂と遠雷』を読んでいたら、「夜は、まだ若い」という一文が出てきた。未読だがミステリも書いている恩田陸のこと、出典は明らかに、"Phantom Lady" の有名な書き出し、The night was young, and so was he. であろう。
 そこでひらめいた。このくだり、なんだか俳句に使えそうだな。まだ思案中だけど、ほかの句ならあっさり思いついた。ミステリも俳句も好き、というひとなら、とっくの昔に詠んでいそうな拙句ですが。

寒き世の闇に潜みしもぐらかな 

Tinker Tailor Soldier Spy (Penguin Modern Classics)

Tinker Tailor Soldier Spy (Penguin Modern Classics)

  • 作者:Carré, John le
  • 発売日: 2018/09/27
  • メディア: ペーパーバック
 

 John le Carré はさる12日に逝去されたとのこと。若いころは、ずいぶん読みふけったものだ。謹んでご冥福をお祈りします。

秋の夕まだ早すぎるギムレット 

The Long Good-bye (Phillip Marlowe)

The Long Good-bye (Phillip Marlowe)

 

冬深しタフでなければ生きられぬ

花あれど優しさなくば生きめやも 

Playback (Phillip Marlowe)

Playback (Phillip Marlowe)

 

春雨や車を飛ばす深夜まで 

Midnight Plus One (Crime Masterworks)

Midnight Plus One (Crime Masterworks)

  • 作者:Lyall, Gavin
  • 発売日: 2005/05/19
  • メディア: ペーパーバック
 

弾撃てば生死を分かつ夏のキス 

The Day of the Jackal (English Edition)

The Day of the Jackal (English Edition)