ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Marguerite Yourcenar の “Memoirs of Hadrian”(1)

 きのう、Marguerite Yourcenar の "Memoirs of Hadrian"(1951)を読了。仏語からの英訳版である。さっそくレビューを書いておこう。 

Modern Classics Memoirs of Hadrian (Penguin Modern Classics)

Modern Classics Memoirs of Hadrian (Penguin Modern Classics)

 

[☆☆☆★★★] たいへんな労作である。ローマ帝国五賢帝のひとりハドリアヌスが病を患い、世継ぎに決めた(のちの哲人皇帝)マルクス・アウレリウス宛ての書簡で、青年時代から死の直前まで人生を回想。有名な長城に代表される国防の整備や、司法行政改革、寵愛した美青年アンティノウスの死、ユダヤ属州の反乱など、史実どおりにすこぶる綿密な記述が進む歴史小説である。が一方、その史実は巻末の作者自身の「覚え書き」によれば、ハドリアヌスの「内面世界のなかで確立」されたものであり、その意味でこれは、マルクス・アウレリウスの『自省録』ならぬ、ハドリアヌスの内省録という心理小説でもある。実際、ことあるごとに詳細な考察が加えられ、そのため劇的興味は半減。とりわけアンティノウスの死後は愛人をうしなった悲しみの色が濃く、またローマの平和があまねく領土に広がることを夢見ながら反乱を招いたことに幻滅、最晩年には自殺願望から死の受容へいたるなど、ハドリアヌス省察はしだいに憂愁を帯びた静かな内省となり、史実に即した信憑性のある心理とはいえ、激しい葛藤から生まれる劇的効果は望むべくもない。ハドリアヌスが愛と死について意外に通俗的な次元で悩み、また力と正義を望みながら、プラトンの『ゴルギアス』におけるように両者の本質に迫ることがないのも興ざめ。元老院など反対勢力の記述こそあれ、シェイクスピア劇のシーザーにたいするブルータスやアントニーのような強烈な個性をはなつ敵対者は皆無。などなど小説として不満な点は多々あるものの、いずれも史実の範囲を超えた、ないものねだりの注文である。ユルスナールはあくまでハドリアヌスに深く共感しながら、その実像に迫ろうとしている。着想から完成までほぼ三十年の労作に賛辞を惜しむものではない。

George Orwell の “Homage to Catalonia”(3)

 前回(2)では、Orwell の現代性のうち些末な問題だけ採りあげた。マスコミの意図的な情報操作など、Orwell がスペイン内戦で目のあたりにした現象が、80年以上たった今日の東洋の島国でも認められるというもので、これを紹介した理由は、あまりに些末で指摘するひとも少ないのでは、と思ったからだ。
 一方、今回のテーマはあまりに陳腐で、いまさら扱うまでもないと思えるものだが、それでも避けて通るわけにはいかない。すなわち、現代人には Orwell のように、evil と戦う気概があるのか、という問題である。
 "Homage to Catalonia" の冒頭はほんとうに感動的だ。Orwell がバルセロナ義勇軍に参加した前日、イタリア人の義勇兵と出会ったときの場面である。Something in his face moved me. It was the face of a man who would commit murder and throw away his life for a friend .... As we went out he stepped across the room and gripped my hand very hard. Queer, the affection you can feel for a stranger! It was as though his spirit and mine had momentarily succeeded in bridging the gulf of language and tradition and meeting in utter intimacy.(p.7)
 いままで何度引用されたかわからないと想像するくだりだが、この出会いを Orwell は後年、スペイン内戦で忘れがたい思い出のひとつに挙げ、その理由をこう説明している。This man's face, which I saw only for a minute or two, remains with me as a sort of visual reminder of what the war was really about.(p.243)この前後も引用しておこう。.... the central issue of the war was the attempt of people like this to win the decent life which they knew to be their birthright.(ibid.)He [The Italian militiaman] symbolizes for me the flower of the European working class .... All that the working man demands is .... the indispensable minimum without which human life cannot be lived at all.(pp.243-244)
 これは続編 "Looking Back on the Spanish War" の一節だが、本編の最後にはこんなくだりもある。This war, in which I played so ineffectual a part, has left me with memories that are mostly evil, and yet I do not wish that I had missed it. .... Curiously enough the whole experience has left me with not less but more belief in the decency of human beings.(pp.219-220)
 ぼくはこうした一連の箇所をレビューで次のようにまとめた。「(オーウェルは)なにより意気に感じる男だった。ふつうの人がまともな生活を送りたいという願いを正義と感じ、その正義のために戦うことを正義と感じた。(中略)大いに幻滅しながらも、人間の良識をますます信じるようになり、良識という正義のために戦うことを理想としつづけた」。
 スペイン内戦も一例だが、20世紀は「戦争と革命の世紀」だったとよくいわれる。が、より具体的には、帝国主義と(左右ふたつの)全体主義に発する戦争と革命の世紀だろう。そして21世紀のコロナの時代では、20世紀の負の遺産ともいえる、古くて新しい帝国主義全体主義が跳梁しつつあるように見える。このとき、「現代人には Orwell のように、evil と戦う気概があるの」だろうか。
 以上、あまりに陳腐な話題で、かつ、あまりに雑ぱくな感想でした。こんな駄文を亡き某先生が読まれたら、ヒドさもヒドし、と絶句されることだろうな。

(下は、最近観た映画のひとつ。二回目だが、よかった) 

浮雲 【東宝DVD名作セレクション】

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Virginia Woolf の “To the Lighthouse”(1)

 Virginia Woolf の "To the Lighthouse"(1927)を読了。さっそくレビューを書いておこう。 

Modern Classics To the Lighthouse (Penguin Modern Classics)

Modern Classics To the Lighthouse (Penguin Modern Classics)

  • 作者:Woolf, Virginia
  • 発売日: 2000/10/31
  • メディア: ペーパーバック
 

[☆☆☆☆★] 灯台の光は、姿は時々刻々と変化する。よくよく観察すれば、空と海のあいだで一瞬たりとも同じものではない。たどり着いたかと思えば靄につつまれ消えてしまうこの存在を、「存在の瞬間」を捕捉することは果たして可能なのだろうか。それがタイトルと結末に即した本書の要諦である。他人はおろか自分の心さえも本当のところはわからない。こうした存在の闇の底を掘りさげ、「闇の核心」すなわち人生の本質を、ひとの魂そのものをえぐりだすためには、まず「永遠に過ぎさり流れゆく」人間の心理を、その変化のありようをつぶさに観察しなければならない。そこからヴァージニア・ウルフの「意識の流れ」という技法がはじまる。本書の登場人物は意識の流れるままに自分の心を見つめ、相手の心を読み、それぞれの心象風景に室内や自然の風景もとりこんでいく。難解だが絶美の表現である。それは観察の結果、たえず移ろいゆく「瞬間から永遠なるものをつくりだし」、「瞬間の完成」を試みた作業である。このとき信頼に足る道具として、第一部ではラムジー夫人がことばを、第三部ではリリーがことばと絵画を想定しているようにも思える。がしかし、ペンや絵筆ではとうてい描きえぬ真実があることは論を俟たない。ウルフが終始一貫、これだけ存在の瞬間を紙上に定着させようとしつづけたのは、それが至難のわざであるがゆえの深い絶望の証左ともいえよう。「理性や秩序、正義は存在せず、あるのは苦しみと死だけ」というラムジー夫人の発言は、その絶望を反映したものかもしれない。だが本書では、そうしたペシミズムを導く悲劇は夫人の息子の戦死をはじめ、あくまで断片的、間接的にしか描かれていない。ここには人間心理の観察者しか登場せず、観察者同士の葛藤から劇的な対決が生まれることもない。本書の、あるいは作者の限界を物語っているのではないか

George Orwell の “Homage to Catalonia”(2)

 レビューでまとめきれなかったことは山ほどある。あまりに多すぎて、それをひとつひとつ拾っていくと、いつまで続くか知れたものではない。
 そこで思い切って、Orwell の現代性という点についてのみ補足することにした。それも今回は些末な問題だけ。
 たとえば、こんなくだりはどうだろう。As far as the mass of the people go, the extraordinary swings of opinion which occur nowadays, the emotions which can be turned on and off like a tap, are the result of newspaper and radio hypnosis.(p.227)この radio を television や internet に置き換えれば、そっくりそのまま今日の東洋の島国にも当てはまるのではないか。
 Orwell は若いころから新聞に不信感をいだいていたようだ。Early in life I have noticed that no event is ever correctly reported in a newspaper, ....(p.234)それがスペイン内戦では、こんな報道の実態を目のあたりにすることになる。Nearly all the newspaper accounts published at the time were manufactured by journalists at a distance, and were not only inaccurate in their facts but intentionally misleading. As usual, only one side of the question has been allowed to get to the wider public.(p.143)ぼくはこれを読み、昨今、「(記事の)エビデンス?そんなものねえよ」とか、「感染症は煽ってるって言われるくらいでいい」などとうそぶく論説委員や報道局員がいるらしい、という話を思い出した。
 一方、ぼくが昔から「レッテル思考」と呼んでいる現象の指摘もある。.... the Communist tactic of dealing with political opponents by means of trumped-up accusations is nothing new. Today the key-word is 'Trotsky-Fascist'; yesterday it was 'Social-Fascist'.(p.171)いまではさすがに Fascist と聞いてもピンとこない人が多いせいか、政敵をすぐに Hitler 呼ばわりする政治家や政治活動家がいる。ご自身こそ Hitler みたいな思考の持ち主ではないか、とぼくは疑っている。
 その疑いはもっぱら島国にかかわるものだが、これは現在どこの国の話だろう。.... once in prison you never knew when you would go out, ....(p.202)くわばら、くわばら。
 書けば書くほど些末なことになってきた。最後に、Orwell 先生、マジっすか、と尋ねたくなった問題が horror story about the Japanese in Nanking in 1937(p.229)。どんなエビデンスをもとにしたのか気になるところである。
 これに先だって Orwell はこう述べている。.... atrocities are believed in or disbelieved in solely on grounds of political predilection.(p.228)だからぼくの質問を聞いて、そう疑うのはお前さんの political predilection だよ、と答えるのか、それとも、I warn everyone against my bias, and I warn everyone against my mistakes. Still, I have done my best to be honest.(p.153)という返答なのか。いずれにしても、スペイン内戦という本筋とは関係がない話なので、当時知りえたエビデンスがあったとしても紹介しなかったのだろう。(この項つづく)

(下は、最近ハマっているCD) 

Intuition

Intuition

 

 

George Orwell の “Homage to Catalonia”(1)

 きのう、George Orwell の "Homage to Catalonia"(1938)を読了。使用した text は Penguin Books 版(1977年刊)で、続編 "Looking Back on Spanish War"(1943)もふくまれる。さっそくレビューを書いておこう。 

[☆☆☆☆★★] オーウェルはおそらく、考えるよりも先に目で見て感じる男だった。ただし鋭敏に。とりわけ、意気に感じる男だった。ふつうのひとがまともな生活を送りたいという願いを正義と感じ、その正義のために戦うことを正義と感じた。つぎにおそらく、考えるよりも先に行動する男だった。正しいと感じたことをすぐに行動に移す男だった。単純明快で純粋な男であり、自身認めているとおり、当初はナイーヴな理想主義者だった。けれども彼は作家であり、ものを書くためには考えなければならぬ。彼は考える。悪との戦いに中立はありえない。戦い、戦いに勝ち、生きのこらなければならぬ。だがそのためには敵を殺さなければならない。それは手を汚すことであり悪である。それが現実だ。かくてオーウェルは理想を夢見て現実を知る。と同時に戦闘をめぐり、理想と現実のはざまでゆれ動く。そこから理想と現実の双方に立脚するという「二本足の作家」が生まれ、彼の知的誠実もまたはじまる。中立がありえぬなら偏見をまぬかれることもまたむずかしい。間違いをおかすこともある。しかし彼は執筆の際、限界を承知のうえで精いっぱい正直であろうとする。目にした現実を極力正確に記述し、その奥に潜む本質を追究し、耳にした主義主張を裏づけるエビデンスを精査する。明白な不正と不合理に激しい義憤をおぼえる。と同時に、その怒りさえも冷静に分析する。冷静な現実認識と「二本足」のバランス感覚にもとづいて情勢を、進むべき道を判断する。そして最後、パースペクティヴな視点、世界史の流れのなかでスペイン内戦の意義を考える。そこには歴史を書き換える全体主義の恐怖や、マスコミの意図的な情報操作など、21世紀のコロナの時代にも通じる意義を読みとることもできる。けれども、もっとも深く心を打たれるのは、オーウェルが厳しい現実に直面して「ナイーヴな理想主義」を捨て、大いに幻滅しながらも、人間の良識をますます信じるようになり、良識という正義のために戦うことを理想としつづけたことである。本書はその戦いと、戦った人びとへの讃歌である。オーウェルはなによりもまず、信じる男だったのである。

"Homage to Catalonia" 雑感

 ぼくは洋書を読むとき、いつもメモをとることにしている。いわゆる5W1Hを基本に、そのほか気のついたことはなんでも書き留める。そうしないとすぐに忘れてしまうからだ。
 メモ用紙はB5の裏紙(表は宮仕え時代に使用)を4つ折りにしたもの。これに3色のボールペンで(重要と思った事柄は赤)、小さい字で書き込んでいく。なるべく少ない枚数で済ませたいからだ。前回の "The Orenda" は大作だったが、1枚でこと足りた。
 ところが、この "Homage to Catalonia" は "The Orenda" の半分にも満たないのに、中盤を過ぎたところでもう8枚目。ひょっとしたら新記録かもしれない。
 学生時代に邦訳で読んだときは傍線を引いただけで、メモはとらなかった。38年前に途中まで読んだ Penguin 版も、傍線が下線に変わっただけ。それを最初から上の要領で読み直している。あやふやながら昔の記憶をまったく消してしまうことはできないものの、極力初見のつもりで読んでいる。
 きょうはその「第一印象」を少しだけ簡単にまとめておこう。詳しく書きだすと切りがない。
1.1936年12月から Orwell が実際に体験したスペイン内戦の記録だが、21世紀のコロナの時代にもじゅうぶん当てはまる内容をふくんでいる。とくに全体主義プロパガンダや、マスコミによる情報操作など。
2.森鴎外のいう「二本足の学者」をもじっていえば、Orwell は「二本足の作家」。理想と現実双方に立脚している。理想に共感して参戦、現実を知ったことなど。
3.上の言い換えでもあるが、Orwell はすぐれたバランス感覚の持ち主。バルセロナ内戦の原因は一方的なものではないという判断など。
4.非常に正直な作家。ナイーヴな理想主義をもっていたこと、政治情勢に無関心、無知であったことなどを告白。
5.非常に純粋。正義のため勇敢に戦う人びとに共感。自分も最前線で戦いたいという思いが強い。
6.正直で純粋であるがゆえに、ウソや欺瞞、不純なものに敏感。これが正確な現実観察、現実認識にもつながっている。
7.バランス感覚と現実認識の結果、論より証拠という実践的な判断、かつ柔軟な思考がしばしば見受けられる。
8.上の言い換えでもあるが、教条的、観念的な正義感の持ち主ではない。
9.以上のすべてについて知的昂奮が味わえるが、戦闘シーンなどの緊張感もすごい。
 ほかにもまだあるが、きょうはこれまで。

(下は、きのう聴いていたCDのひとつ)

ROMAHOLIC

ROMAHOLIC

 
  

Joseph Boyden の “The Orenda”(2)

 さる12月、2018年のギラー賞最終候補作で、ファン投票では1位だった Eric Dupont の "Songs for the Cold of Heart"(☆☆☆★★)を読んでいたら、Hannah Arendt の "The Origins of Totalitarianism" の話が出てきた。ああ、そういえばこの名著も未読だったな、邦訳を少しかじっただけで。
 そのかすかな記憶をたよりに判断すると、Penguin 版の同書に取り組むのはおそらく、かなりしんどい。しかし気になる。迷っているうちにふと、全体主義つながりで思い出したのが "Homage to Catalonia"。恥ずかしながら、これも若いころ邦訳でお茶を濁しただけで、原書も途中までしか読んだことがない。これぞまさしく、読まずに死ねるか!
 というわけでもっか、ずいぶん久しぶりに Orwell を読んでいる。すっかり黄ばんでしまったペイパーバックに、1983年の神田〈書泉グランデ〉のカレンダーがしおり代わりに挟んであった。なんと38年ぶりの再トライというわけだ。
 さすがに奥が深い、というか、考えさせられることが多い。ほんとうはもうその話をしたいのだけど、きょうはとりあえず表題作の落ち穂拾い。Joseph Boyden の作品を読んだのは、2008年のギラー賞受賞作、"Through Black Spruce"(☆☆☆☆)以来2冊目である。 

 これはめちゃくちゃ面白かった。「物語性抜群の文芸エンタテインメントである」。その後邦訳が出たかどうかはチェックしていないけれど、もしギラー賞ではなく、英米のメジャーな文学賞の受賞作だったら、間違いなく飛びついた出版社もあるのでは、という気がする。
 しかしながら、いかんせんギラー賞。カナダではもっとも権威があるとされているのだけど、それくらいでは売れないと判断された可能性が高い。
 そして今回の "The Orenda"、これはますます売れそうもない。カナダ先住民同士が争った物語なんて、日本ではせいぜいマイナーなブログ向きの作品である。 

 だがアマゾン・カナダで検索すると、あちらでは、実際に受賞した Lynn Coady の "Hellgoing"(2013 未読)よりもはるかに人気があるようだ。建国の「産みの苦しみ」を実感した現地ファンが多いからだろう。
 物語の面白さという点では、"Through Black Spruce" より一歩か一歩半くらい落ちる。しかしこちらのほうが深い。「あらゆる国の国民文学としてじゅうぶん説得力がある」作品だからだ。What's happened in the past can't stay in the past for the same reason the future is always just a breath away. Now is what's most important. .... The past and the future are present.(p.487)噛みしめたい言葉である。

(下は、この記事を書きながら聴いていたCD) 

The Well Tempered Clavier Das Wohltemperierte Klavier

The Well Tempered Clavier Das Wohltemperierte Klavier

  • 発売日: 1994/03/01
  • メディア: CD