ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“The Secret Scripture” 雑感(2)

 読み進んでいるうちに思い出したのだが、本書はちょうど去年の今ごろ読んだ Maggie O'Farrell の "The Vanishing Act of Esme Lennox" と設定がよく似ている。http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20080115
 あちらも主人公の女性が精神病院に長期入院中で、その理由が大きな謎のひとつだった。二つの別の物語が同時に進行する点も同じだが、違うのは "The Vanishing..." の場合、最初は二つの物語が一見無関係なのに対し、この "The Secret..." では両方が異なる視点から女性の人生を再構成しようとしていること。むろん、前者のほうがミステリアスな展開である。
 というわけで、"The Vanishing..." は途中までとても面白かったのだが、「いったん謎が明かされてみると、そこにはどんな意味があるのだろうと首をひねってしま」い、興ざめしてしまった。その「謎が解明に値する謎、解くことによって多少なりとも人生の真実が見えてくる謎とは思えな」かったからだ。それなら娯楽主体の推理小説と大差なく、文芸エンタメ系のノリと言わざるをえない。
 その点、この "The Secret Scripture" は今のところかなり有望だ。まだ入院の事情が明らかにされていないので勘違いかもしれないが、どうやらアイルランドの内戦がからんでいるらしい。激動の歴史が人間の運命を左右するのは真実フィクションを問わずよくある話だが、さて、それがどこまで深く掘り下げられているか。その「深度」によって本書の価値が決まるかもしれない。
 それから、女性が入院した経緯を調べる精神科医の日記も興味深い。その調査が同時に自分自身の人生の検証にもなっているからだ。波風多い妻との関係など、物語の展開に変化をつけるための定石ながらよく書けている。医師は、女性の秘密を解く鍵となる記録を入手。さてその内容は?と気を持たせるあたり、後半に入って次第に盛り上がり目が離せない。
 ちなみに、Maggie O'Farrell も Sebastian Barry もともにアイルランドの作家だ。バリーは本書の執筆中か構想を練っているとき、オファーレルの作品を読んでいた可能性もある。そんなことを勝手に想像しながら、二人の相違をさらに見極めようと思っている。