ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Santiago Roncagliolo の “Red April” (2)

 読みはじめたとき、こんなに重い作品だとは夢にも思わなかった。それどころか、雑感でもふれたとおり、ポリティカル・スリラーと知って軽く考えていたくらい。その後、「ぐっと深みが出てきつつある」ことに気づいたものの、まさかこれほど重かったとは。お見それしました。
 何よりも感心したのは、本書が「解明に値する謎」を扱っている点である。いわゆる純文学の中にもミステリアスな作品はたくさんあるけれど、最近の英米のものはどうも食い足りない。Sarah Waters の "The Little Stranger" や、Maggie O'Farrell の "The Vanishing Act of Esme Lennox" などについて書いたことを繰り返すと、「その謎が解かれることによって、なるほど人間にはこんな側面があったのか、人生にはこんな厄介な問題があったのか、と目から鱗が落ちるような思いをする文学作品」をぼくは読みたいのに、その願望が満たされることはめったにない。謎が解けたとき、だから何なんだ、とガックリくる場合がほとんどである。
 その点、"Red April" における連続殺人事件には、「解くことによって多少なりとも人生の真実が見えてくる謎」が秘められている。ミステリなので詳しくは書けないが、「戦争においては人間は敵味方の区別なく醜悪な存在となるという現実」を、戦争の後日談というかたちで暴きだしたものである。ほぼ同じテーマを扱った Chimamanda Ngozi Adichie の "Half of a Yellow Sun" と較べると、問題の入口付近でとどまっているという点では見劣りするけれど、悲惨な現実をよくぞここまでドラマ化したものだと賞賛したい。
 参考までに、5年前のオレンジ賞発表前に書いた "Half of a Yellow Sun" のレビューを再録しておこう。(点数は今日つけました)。

Half of a Yellow Sun

Half of a Yellow Sun

[☆☆☆☆★] 06年度の全米書評家協会賞は惜しくも逃したが、今度は07年度オレンジ賞の最終候補にノミネート。受賞結果はさておき、アディーチェが人間存在の本質を見据えた第一級の作家であることは間違いない。舞台は60年代のナイジェリア、イボ族の虐殺に端を発したビアフラ戦争。慄然とするような殺戮シーンをはじめ、戦争の恐怖、民衆の悲惨な生活がビアフラ側の視点から描かれるが、これは断じて教条主義的な政治小説反戦小説ではない。難民を難民というだけで美化することなく、人々が欲望のおもむくままに行動する姿を冷徹なまでに暴き出している。しかも、戦争が人間を野獣に駆り立てるといった図式的な見方を排し、「戦争で別人になるかどうかは本人の問題」と指摘。これは人間性への鋭い洞察と同時に、実は深い信頼を示した言葉でもある。この洞察と信頼ゆえに小説としての奥行きが生まれ、平和な時代における男と女、姉と妹、主人と召使いといった日常的な人物関係の感情のもつれが面白く、戦争開始後、その関係が変化する様子も真実味があって感動的なのだ。たしかに気が遠くなるほど重い小説だが、ビアフラの国旗を意味する題名どおり、かすかな希望も示される。けれども、安易な救いは一切ない。とにかく戦争と人間の現実を直視した作品である。なお、英語は標準的で読みやすい。