ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Man Gone Down" 雑感(3)

 ようやく半分を通過。何とか目鼻がついてきた。昨日は本書を「内省小説」と呼んだが、これはたしかに「内的独白小説」、それもハードボイルド型の内的モノローグ小説かな、という気がする。
 まあ、名称はどうでもいいが、とにかく基本的には、主人公の心に去来するさまざまな思いを綴ったものである。この2,3年のうちに読んだ小説で言えば、Anne Enright の "The Gathering"、Joanna Kavenna の "Inglorious"、Joseph O'Neill の "Netherland" などとよく似ている。いずれの作品でも主人公は、肉親の死や配偶者との別離をきっかけに精神的危機におちいり、心の中で現在と過去のあいだを彷徨する。本書はニューヨークが舞台で9.11テロ事件も出てくるので "Netherland" に近い。ひょっとしたらあちら同様、国家の危機と混乱を背景に、主人公の魂の試練を描いた作品なのかもしれない。
 ただし、上の3作と較べて特徴的なのは、主人公のアクション(といってもビルの解体作業や内装工事といった日常的な活動)を描いたシーンがかなり多い点である。それも即物的と言ってもいいほど感傷を排したパワフルな文体で、大昔読んだダシール・ハメットを思わせるハードボイルド・タッチだ。
 もちろん、「感傷を排した文体」と言っても、アクション・シーンのあいまにはモノローグが紛れこむ。ふと目にした光景や人物の様子などをきっかけに回想や内省が始まるわけで、そこには当然、自己憐憫も混じっている。ただ、それは間接的な表現で示されることが多い。一例を挙げると、たまたま流れてきたマイルス・デイヴィスの演奏に、主人公が 'wailing soul' を感じとるくだり。これはたとえば、「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」におけるペットの音色を思い出すだけでも納得できる話であり、ひるがえって、それを耳にした主人公の「魂」も「慟哭している」わけだ。
 妻子と別れた男はどうやら、元の生活への復帰を夢見ているらしい。してみると、その日常的な活動をあえて「感傷を排し」て描いた背景には、やはり「魂の慟哭」を間接的に伝えようとする意図があるのではないだろうか。マイルス・デイヴィスの件と併せて、まさしく「ハードボイルド・タッチ」である。