ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Winnie and Wolf" 雑感(6)

 「パルジファル」が最終章かと思ったら、あとひとつ、「トリスタンとイゾルデ」の章が残っていた。余談だが、遅ればせながら、それぞれクナッパーツブッシュフルトヴェングラーの名盤を注文。「指環」はとても無理だが、時間的にこのふたつの楽劇なら聴けるかも、と思った次第。本書に接したのをきっかけに、いよいよ「ワーグナーの毒」を(理解できたらの話だが)味わうことになりそうだ。
 閑話休題。作者は「善悪両面をそなえた普通の人間がなぜジェノサイドを引き起こしたか、という…問題を素通りして」いると昨日は書いたが、厳密に言うとまったくの「素通り」ではなく、いちおう理由らしきものは示されている。悪魔との契約、神がかり的なカリスマ性、宗教的・人種的な偏見、一般国民の英雄崇拝と無知…。今のところ、と言ってももう終幕近くだが、ざっとそんな要素が複合して組織的虐殺が起きたのだという説明である。
 で、ぼくはそれを読みながら、風邪薬のせいだけでなく眠くて仕方がなかった。どれもこれもどこかで聞いたことのある話ばかりで、切り口が鋭くて説得力のある解釈はひとつもない。そんなアプローチを期待するのはもはや無理なのかもしれないが、常識的な見方に終始するなら新しい作品を書く意味はどこにあるのだろう。「人間は天使でも獣でもない。そして不幸なことに、天使のまねをしようと思うと獣になってしまう」。パスカル箴言だが、『パンセ』のほうがはるかに知的興奮に満ちている。
 …おっと、いつもの悪い癖で、重大な問題をまたまた粗雑に扱ってしまった。今日は時間がないのでこの話にはいつか戻るとして、本書は「パルジファル」の章に至ってやっとメロドラマの要素が色濃くなる。といっても、ヴィニフレートとヒトラーの愛人関係ではなく、二人の…いや、これはネタを明かしてはいけない。「おいおい、ほんとはもっと何か仕掛けがあるんでしょ」と前に書いたその「仕掛け」がようやく前面に出てくる、とだけ言っておこう。
 これについては、じつはかなり以前から伏線が張られているのだが、ぼくの好みを言うと、もっともっとメロドラマに仕立ててほしかったなあ。それでは品格が落ちると作者は思ったのかもしれないが、書きようによってはメロドラマでも優れた芸術作品たりうるのだ。通り一遍のヒトラーやナチズムの話なんかに脱線せず、要するにこれは小説なんだから、ストレートにフィクションで勝負してほしかった。いや、まだ完結したわけではないので、最終章で大いに盛りあがることを期待したい。